暴力団組長だった加茂田重政(一和会)は一和会会長の山本広をどう見たのだろうか。
加茂田重政は山本広について著書『烈侠』で言及している。
この記事の主要な登場人物
加茂田重政
山本広
「手榴弾で説得された」
加茂田重政は著書『烈侠』で、山本広に手榴弾を懐に一和会入りを説得されたという凄まじいエピソードを披露している。
一和会に参加した理由は、ずっと言わなかったんやけど、あのときは首を縦に振るしかなかった。さっき、山広が電話してきて会うたという話をしたが、そのときの話や。
実は、山広は家に話し合いに来たとき、懐に手榴弾を忍ばせてきとった。わしが首を縦に振らなかったら(手榴弾の)ピンを離すぞというわけや。それは今でもよう憶えとる。わしがそこで頼みを受け入れなければ、山広は手榴弾を爆発させるつもりやった。
懐にそれが見えてな、山広は「『うん』と言うてくれ、言うてくれなかったら爆発させるで」言うとった。そら極道やし、いざというときの肚は据わっとった。それくらいの覚悟は山広にもあったということや。
引用:加茂田重政『烈侠』(2016年・サイゾー)172頁
「山広が本当にボンクラなら高い地位につくはずがない」
さらに山一抗争の敗北で山本広の評価が歪んだとして次のように述べている。
山広とは五分の兄弟やけど、山広のほうが年齢が上やから、わしは一和会の中では山広を立ててた。でも二人きりのときは「ヤマヒロ」やったな。
しかし、山広は抗争に負けた組長やからと、いろいろ言われとる。わしもそりゃ山広には思うところもいろいろあるで。
でも、世の中、勝てば官軍、言うけどな、仮に山広がボンクラやったとして、なんで三代目山口組組長代行とか、入れ札を山健とやるほどの地位に就くなんてことになるんや。
そんな話があってたまるか。それはそれで言うとかなあかんな。
引用:加茂田重政『烈侠』(2016年・サイゾー)173頁
加茂田重政『烈侠』の見どころ・読みどころ
この記事の引用文は加茂田重政『烈侠』からのものである。
「歴史は勝者が作る」という言葉があるように、どうしても結果がはっきりしてから振り返った時には勝者の言い分が強くなりがちである。
だから加茂田重政の『烈侠』の面白さは、まず「一和会」という敗者の視点から書かれた貴重な記録であるということだろうか。
加茂田の眼から見て竹中正久や山本広がどう見えていたのか、また抗争まで発展していった経緯などを興味深く読むことができる。
また、山一抗争で負けたために武闘派イメージにケチがついてしまった加茂田重政だが、実際にはイケイケのヤクザで、その加茂田の個人史として読んでも興味深い。
くわえて、当時もっとも名前が売れていたヤクザの1人だった加茂田重政は芸能人とも付き合いが広かったらしく、例えば菅原文太、松平健、梅宮辰夫、錦野旦、細川たかし、若山富三郎らが、加茂田をはじめとする極道や親族・関係者らと当たり前のように談笑する写真など、表に出るタイミングが違えば大きなスキャンダルになったであろうような写真が大胆に掲載されている。
さらに写真こそ掲載されていないが、加茂田が言うには加茂田の息子の結婚式の司会は、何とあの明石家さんまがしたという話だ。
ところで呆れたのは右翼の田中清玄で、この著書『烈侠』の中にも名前が出てくる。いったいどこまで顔が広いのだろうか。
もっとも田中清玄は加茂田の親分の田岡一雄と親しかったのだから、名前が出てくるのも当然なのかもしれないが。
ご紹介した加茂田重政の『烈侠』は、Amazonの電子書籍読み放題サービス『Kindle Unlimited』でも読むことができる。(2022年11月11日閲覧時における情報)