後藤忠政から見た中山勝正「偉そうなところがなくて実に爽やかな人」

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元ヤクザの後藤忠政は、四代目山口組若頭だった中山勝正についてどう見ていたのか。

後藤忠政は中山勝正について、自著『憚りながら』の中で言及している。

「偉そうなところが全然なくて、実に爽やかな人」

後藤忠政は中山勝正についてこのように述べる。

四代目の若頭だった高知の中山(勝正・豪友会初代会長)さんも素晴らしいヤクザだった。実は俺を直参に推してくれたのが、中山さんだったんだ。べつにそれまで知り合いだったわけじゃない。当時、中山さんはすでに本家(山口組)の(若)頭補佐だったし、俺は伊堂組の枝だったから。けど、何かしら目をかけててくれたんだろうな。

伊堂さんが引退した後、「後藤はいいぞ、あいつを直参にしようや」って竹中さんに進言してくれたそうだ。俺も(直参になった)後で周りから聞いたんだけど、(中山)本人はそんなこと、まったく口にしないで、俺が四代目から盃をもらったらすぐに、「兄弟、兄弟」って呼んでくれてさ。自分は若頭なのに偉そうなところが全然なくて、実に爽やかな人だったよ。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年) 118~119ページ

文中の「伊堂」は下記参照。

文中「伊堂」は伊堂敏雄。伊堂敏雄は浜松市を拠点とした山口組系伊堂組の組長だった。後藤は所属していた川内弘の川内組が1977年に事実上の消滅をすると伊堂組の舎弟として移籍。伊堂は1984年7月に竹中正久が組長を務めた四代目山口組が発足すると引退、同時に後藤組は山口組の直系組織に昇格した。(参考:Wikipedia

また後藤忠政の、四代目山口組組長だった竹中正久への言及は下の記事を参照。

後藤忠政(ごとうただまさ)

後藤忠政(ごとう・ただまさ)は1942年9月16日生まれ。本名は同じ読みの後藤忠正。元暴力団組長、元山口組系・後藤組組長。東京で4人兄弟の末っ子として生まれるが、2歳の時に静岡県の富士宮市に疎開、それ以降この地で育つ。富士宮の愚連隊から昭和47年に山口組川内組に入り、その後、後藤組を結成。後に伊堂組舎弟となる。五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟などを務め武闘派組長として知られたが、2008年に除籍処分を受けてそれを機に引退した。(参考:Wikipedia

中山勝正(なかやまかつまさ)

中山 勝正(なかやま かつまさ、1937年10月25日 – 1985年1月27日)は、日本のヤクザ。暴力団・四代目山口組若頭、豪友会初代会長、元中井組若頭。高知県香美郡物部村(後の香美市)出身。

引用:Wikipedia

中山勝正は山口組から分裂した一和会のヒットマンに襲撃され、四代目山口組組長だった竹中正久とともに射殺されている。

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