後藤忠政から見た安倍晋三「考え方は好きでいい政治家だと思ってたんだが…」

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元山口組系・後藤組組長だった後藤忠政は、政治家の安倍晋三についてどう見ていたのか。

後藤忠政は政治家・安倍晋三について、自著『憚りながら』の中で言及している。

「考え方は好きでいい政治家だと思ってたんだが…」

後藤忠政は小泉純一郎について言及した流れで、安倍晋三についてこのように述べる。

その小泉の後の安倍さん、俺はあの人の「美しい国」という考え方は好きだったし、いい政治家だと思ってたんだが、(政権の)途中で「腹痛い」って辞めちゃあ、ダメだろ。

学校で級長やってる子供だって、「腹痛い」なんて理由では辞めんぞ。その後の福田さんも投げ出すし、「政権」というものがそんなに軽いもんだったら、そりゃ、あの民主党でも担えるのは当たり前の話だ。

仮にも日本という国のトップだよ。極道の親分なら、ヤクザ辞めなきゃ、明日から懲役に行かなきゃいかんという時でも、辞めずに懲役に行くんだよ。誰だって懲役に行くのは嫌だけど、そうしないと若い衆に示しがつかんもんでな。それが国を背負ってる、日本国民1億2000万の親分が、「腹痛い」って辞めて、国民に示しがつくのかっていう話だ。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年)216ページ

と、後藤忠政は安倍晋三についてこのように述べている。

ただし、後藤忠政の『憚りながら』の出版は2010年なので、2012年の第二次安倍内閣発足以降の安倍に関する批評は含まれてはいない。そのため、現在では後藤忠政の安倍晋三に関する見方は多少変化している可能性もある。

後藤忠政(ごとうただまさ)

後藤忠政(ごとう・ただまさ)は1942年9月16日生まれ。本名は同じ読みの後藤忠正。元暴力団組長、元山口組系・後藤組組長。東京で4人兄弟の末っ子として生まれるが、2歳の時に静岡県の富士宮市に疎開、それ以降この地で育つ。富士宮の愚連隊から昭和47年に山口組川内組に入り、その後、後藤組を結成。後に伊堂組舎弟となる。五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟などを務め武闘派組長として知られたが、2008年に除籍処分を受けてそれを機に引退した。(参考:Wikipedia

安倍晋三(あべしんぞう)

安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 – )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、内閣総理大臣(第90・96・97・98代)、自由民主党総裁(第21・25代)。自由民主党幹事長(第38代)、内閣官房長官(第72代)等を歴任した。

引用:Wikipedia

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