後藤忠政から見た野村秋介「爽やかな男」「話していて誠を感じる」

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人物紹介

後藤忠政(1942年9月16日 – )

後藤 忠政(ごとう ただまさ、本名: 後藤 忠正=読み同じ、1942年9月16日[1] – )は、日本の元暴力団員。20世紀から21世紀の初頭に掛けて活動したヤクザ。

暴力団・川内組若頭補佐兼静岡支部長を経て、暴力団・後藤組を結成、後に伊堂組舎弟となった。指定暴力団・山口組の幹部構成員として、五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟などを歴任したが、2008年をもって引退した。

引用:Wikipedia

野村秋介(1935年2月14日 – 1993年10月20日)

野村 秋介(のむら しゅうすけ、1935年2月14日 – 1993年10月20日)は、日本の新右翼、民族派活動家。戦後の民族派の代表的な論客として知られた。

引用:Wikipedia

野村は自身が立ち上げた政党「たたかう国民連合・風の会」を、『週刊朝日』誌上でイラストレーターの山藤章二に「虱(しらみ)の会」と揶揄されたことから朝日新聞社に抗議、1993年10月20日に朝日社長との話し合いの後、拳銃で自裁して死去した。

「爽やかな男」「話していて誠を感じる」

山口組の二次団体である後藤組組長だった後藤忠政は、自著の『憚りながら』(はばかりながら)の中で友人だった右翼の野村秋介について触れている。

俺が四代目(山口組)の直参になる直前、初めて「生涯の友」と呼べる男に巡り合った。それが野村秋介さんだ。(中略)

なかなか面白い男だなぁと思ったね。やってることだけじゃなくて、言ってることも。それで「ああ、この男とならこれから付き合っても、色んなことをしゃべっても楽しいだろうな」と思った。本当にいい出会い、素敵な出会いだったな。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年)132・135ページ

最初から最後まで爽やかな男だったな、野村さんは。色んな権力と闘う時も、事件を起こす時も、捕まる時も、ムショに入る時も、死ぬ時も。往生際もよかった。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年)156ページ

さらに野村秋介の墓地がある寺の住職で、後藤自身の得度の面倒を見た僧侶について言及する箇所で、後藤は野村についてあらためて触れている。

俺にとっちゃ、現役時代から本当に腹を割って話ができる数少ない友達だし、何と言っても、亡くなった野村さんと一緒で、話していて「誠」を感じる人だから。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年)296ページ

また余談だが、ここで触れられている住職の背には、「野村秋介」、その野村の句「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」、「後藤忠政」という三つの言葉が刺青で彫られているという。

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