折口信夫の太宰治の自殺に関する見解「太宰は心中ではなく殺された」

この記事は約3分で読めます。

保田與重郎の『作家論集』(保田與重郎文庫)の、三島由紀夫の死について書いた「天の時雨」で、唐突に民俗学者の折口信夫が太宰治の自殺について述べた言葉が出てくる。

読んでいてかなり意外なことを言っており驚いたので、それを書いておくことにする。

「太宰は心中ではなく殺された」

年月も二十年以上をすぎたからここにしるすのだが、太宰治が玉川に入水死した直後、折口信夫氏が、太宰は心中ではありません、殺されたのです、あの女はわるい女です、と云われた。

他の話をしていた途中で、話のとぎれた時、ぽつんとそう仰言った。あとあとも何故ああいうことを云われたのかと私は考へた。

折口氏が大和へこられた時のことだつた。

私は戦前の太宰氏が何べんか自殺をしそこなったことは知っていた。

この同じ時折口博士は、太宰はキリスト教の影響を受けているのです、新約をよんだのです、と仰言った。これもこの一言だけだった。

引用:保田與重郎『作家論集』(新学社、2000年)300頁(旧字体表記は現代表記に直した)

折口が「自殺ではなく殺された」として死の原因を女に求めていること、またキリスト教の何かしらの影響を指摘することなどかなり意外な切り口であると思う。

また一応注意しておくと、この言葉はあまり前後の脈絡と関係なく出てくるので、太宰治に興味を持って『作家論集』を買い求めると後悔することになると思う。

それでも、保田與重郎に興味のある人なら、彼が伊藤静雄、樋口一葉、上田敏、高山樗牛、小林秀雄、三島由紀夫など様々な作家に論及するこの著書は、読んでおいて損はないだろう。

人物紹介

折口信夫

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 – 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。

彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣(あざ)をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。

引用:Wikipedia

太宰治

太宰 治(だざい おさむ、1909年〈明治42年〉6月19日 – 1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。

本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。左翼活動での挫折後、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。戦後は、その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称されたが、典型的な自己破滅型の私小説作家であった[3]。

引用:Wikipedia

タイトルとURLをコピーしました