三島由紀夫はサルトルをどう見たか。「ダンディズムの欠如」

文学者
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小説家の三島由紀夫は哲学者のジャン=ポール・サルトルをどのように見ていたのだろうか。

三島のサルトル観は東大全共闘との討論記録『美と共同体と東大闘争』(角川文庫)や三島の対談集『源泉の感情』などから窺うことができる。

三島由紀夫は日本の小説家、劇作家、評論家。生年月日は1925年(大正14年)1月14日。小説『仮面の告白』で高く評価され、その後も『潮騒』『金閣寺』といった優れた作品を生み出し続け、ノーベル賞候補になるほどの目覚ましい活躍を見せた。昭和30年ごろから肉体の鍛錬に目覚めると民族主義的思想を表明し、民兵組織「盾の会」を結成。小説『豊穣の海』の第4部を書き終えた直後、1970年(昭和45年)11月25日に市ヶ谷の駐屯地に乱入、自衛隊への決起の呼び掛けが不発に終わると割腹自殺した。
ジャン=ポール・サルトル(1905年6月21日 – 1980年4月15日)はフランスの哲学者。フッサールやハイデガーの哲学に影響を受けた哲学的主著『存在と無』を著す。その主体性と社会参加(アンガージュマン)の重要性を説いたサルトルの思想、いわゆる「実存主義」は多くの支持を集め、一躍時代の寵児となる。小説『嘔吐』や『自由への道』も評価されて、ノーベル文学賞に選ばれるも受賞を拒否・辞退。『第二の性』で有名な哲学者でフェミニストのシモーヌ・ド・ボーヴォワールは内縁の妻である。

「ダンディズムの欠如」

三島由紀夫は対談集『源泉の感情』の中で、小林秀雄、阿部公房、石原慎太郎、福田恆存ら作家8名、歌舞伎役者の15代目坂東三津五郎他、能楽、長唄、浄瑠璃といった芸道の名人6名と対談している。

その『源泉の感情』中で、サルトルのことに三島が触れる箇所がある。そこでのサルトル評はかなり辛辣で、三島がサルトルのどのような点を嫌っていたかがよく分かる。

それは武田泰淳との対談の中でのことである。

武田泰淳(たけだ たいじゅん)は日本の小説家。生没年は1912年(明治45年)~1976年(昭和51年)。実家は浄土宗の寺。1937年から2年間中国の戦線で従軍している。小説は戦中の食人事件を題材にした『ヒカリゴケ』が有名。センセーショナルな成功を収めた同作によって事件は「ヒカリゴケ事件」と呼ばれるようになった。妻の武田百合子は夫の死後優れた随筆を発表した。娘は写真家の武田花。また伯父の僧侶で社会事業家の渡辺海旭(かいきょく)はカルピスの名付け親だという。

武田泰淳は自分の従軍経験から、防衛論をぶつのと実際に防衛するのとでは大きな違いがある、それほど兵士として優れていなかった自分だからあまり偉そうに防衛論をぶつわけにはいかない、といったことを述べると、それを受けて三島が話す。

三島 それは武田さんはダンディなんだよ。たとえば、ぼくはサルトルなんていうのは、およそダンディズムの反対の男だと思うね。

あれはレジスタンスのあいだに、私に役に立つことはありませんか、と聞きに行ったら、コメディ・フランセーズを一晩護ってくれ、と言われて張り切って、シモーヌ・ド・ボーヴォワールと行って、そして暗い座席に二人で座っていたんだけれども、だれも攻めてこないんで、一晩経って、夜が明けてきたけれども、まるで静かで、それで報告しに行って、コメディ・フランセーズを護りました、と言ったら、よくやった、と言ったそうだよ(笑)。

ちゃんと上のほうは知ってて、サルトルが何の役にも立たんことを知ってるから、その任務を与えたわけだね。

こんども五月革命の時、サルトルは、文芸家協会を占領したということで新聞に出たでしょう。それは僕だってできるよ、文芸家協会ぐらいいつだって(笑)

武田 それは一番安全で目立つな(笑)。

引用:『源泉の感情』(河出文庫)

解説

「コメディ・フランセーズ」はフランス・パリにある歴史ある劇場だが、戦時中、レジスタンスに参加していたサルトルに、レジスタンス上層部がコメディ・フランセーズを守れと命じたという。

ボーヴォワールと一緒に行ったというが、サルトルとボーヴォワールは1929年に契約結婚しているので、既にかなり親密だったころである。

そして何も起こらずに夜が明け、怪訝に思いながら報告すると、上官は「よくやった」と一言だけ言った。何も起こらないだろうことを了解済みで、とりあえずサルトルが仕事を欲しがっていたのでどうでもいい任務を与えたというオチである。

このエピソードだと単純にサルトルの「能力不足」という話のようだが、三島が「サルトルはダンディズムの反対」と言っているのは、その後の「五月革命の時、文芸家協会を占拠した」という話の方が分かりやすい。

三島はサルトルが行ったような何の危険も伴わないような政治的行為を嫌悪しているのである。

文芸家協会を占拠しに行ったところで何の危険もない。文芸家協会を武装した兵士が護衛しているなどまずありえないからである。

そうした危険性のない行為だけで政治的アピールをするというところに三島は、サルトルの「ダンディズムの欠如」を見ている。

ヨーロッパ人の政治感覚、バートランド・ラッセル

さらに三島は、そうしたサルトルのダンディズムの欠如の根本は、ヨーロッパ特有の政治感覚に由来しているのではないかと述べる。

三島 サルトルはそういうことをやってるでしょう。武田さんはそういうことはけっしてやらない。

武田 やらないというより、やれねえんだよ(笑)。

三島 だけど、サルトルがやったあんなこと、だれだってできるよ。歩く労力も要らないじゃないの。僕はヨーロッパ人のああいう政治感覚というのは、文学の中にまでしみ通っているような気がするのよ。(略)

三島 (略)サルトルがボーヴォワールといっしょにへんな新聞を売って、ちょっと逮捕してもらったわけだな、一時間か二時間。みんな笑うよね。笑うけれどもあれでもいいんだって。だって、バートランド・ラッセルなんか、あれだけやって一生食ってきたじゃないの。

引用:『源泉の感情』(河出文庫)

解説

サルトルに見られたように身体的危険やリスクを負わずに政治的アピールするという習慣は、ヨーロッパでは一般的なもののようで、三島はそうしたヨーロッパの政治感覚自体を嫌悪している。

「笑うけれどもあれでもいいんだって」の「いい」というのは、もちろん「肯定できる」という意味ではなく、ヨーロッパではそれでも政治的な実績作りができてしまう、というほどの意味である。つまり本当は良くないのにヨーロッパではあれで通用してしまう、というニュアンスが込められている。

ここでまた「バートランド・ラッセル」という意外な名前が出てくる。

バートランド・ラッセル(1872年5月18日 – 1970年2月2日)はイギリスの哲学者、論理学者、数学者。特に論理学の分野で大きな功績がある。哲学者のウィトゲンシュタインの才能に早くから気付き、彼の主著『論理哲学論考』の出版を支援した。また政治活動も盛んに行い、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えて、友人のアインシュタインら11人の連名で「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表。第一次大戦時の徹底した非戦論、英国の核政策に反対した国防省前での座り込みで2度の投獄経験がある。ラッセルの『幸福論』は三大幸福論の一つとして有名。

三島はラッセルに対して「そのようなヨーロッパ特有のダンディズムを欠いた政治的身振りで一生飯を食った男だ」と相当辛辣な評価をしている。

実際にはラッセルは政治的な部分以外でも業績があるようだが、とりあえず三島がどういう系統の人間を嫌ったかという点では分かりやすい。

自己を安全地帯に置きつつ身体的危険・リスクを背負わずに発信された政治的メッセージは、どのような性格のものでも評価するに値しない、と三島は考えていた。

そしてここで三島のサルトルへの批判を思い起こせば、「安全な」文芸家協会を占拠して政治的アピールをしたサルトルと、軍事組織である自衛隊の駐屯地で行動を起こし、自分の最後のメッセージを発信した三島とは、たしかに分かりやすい対照をなしている。

「私の大嫌いなサルトル」

三島は1970(昭和45)年の11月に割腹自殺しているが、その前年の1969(昭和44)年5月13日、東大学生の左翼組織、「東大全共闘」に招かれて討論会に出席している。

三島は民族主義的・右翼的立場であり、かつ東大全共闘は左翼組織であるから、約1000人もの政治的な敵手に囲まれて三島は討論したことになる。

それはともかく、その東大全共闘と三島との討論会は角川文庫の『美と共同体と東大論争』として出版されているが、その中でわずかにサルトルの名前に触れるところがある。

三島 私の大嫌いなサルトルが『存在と無』の中で言っておりますけれども、一番ワイセツなものは何かというと、一番ワイセツなものは縛られた女の肉体だと言っているのです。(略)

相手が意思を封印されている。相手が主体的な動作を起こせない、そういう状況が一番ワイセツで、一番エロティシズムに訴えるのだ。これが人間が人間に対して持っている(注ー性的)関係の根源的なものではないかと思います。

引用:『美と共同体と東大論争』(角川文庫)

三島はやはり「私の大嫌いなサルトルが」と言っている。

もちろん三島がサルトルが嫌いな理由は先述したような理由からだろう。

しかし「大嫌い」と言いつつ、三島がここでサルトルの「もっとも猥褻わいせつなものは縛られた女の肉体である」という洞察を引き合いに出すのは、そこから暴力の性質や闘争の意味について語るためであり、サルトルの洞察を否定するためではない

三島はサルトルを嫌いつつも、その洞察の鋭さはある程度認めていたということが分かる。

そして三島の説明によれば、サルトルがそのようなことを主張した理由は、エロティシズムは他者にしか発動しないが、他者をエロティシズムの対象とする際にはその他者の持つ主体的な意思が邪魔になる。

肉体を縛ることはそのエロティシズムにとって邪魔な「主体的意思」を封じることができるので、縛られた女の肉体はもっとも猥褻なのだ、という理屈である。

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