モンテーニュはエパメイノンダスをどう見たか。「もっとも傑出した男たち」

哲学者
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哲学者のモンテーニュは、古代ギリシャ・テーバイの政治家・軍人であるエパメイノンダスをどのように見ていたのか。

モンテーニュのエパメイノンダス観は、モンテーニュの主著『エセー』の中でうかがうことができる。

ミシェル・ド・モンテーニュ(1533年2月28日 – 1592年9月13日)はフランス16世紀の哲学者。カトリックとプロテスタントによる血なまぐさい宗教戦争の時代にフランス国王に仕えて政治に携わった。比較的早く一線を退き、引退後に哲学のみならず政治、戦争、文芸、文化といった多様な主題を扱う長大な主著『エセー』を著した。その著述は古典古代(古代ギリシャ・ローマ)からの影響が色濃く、セネカ、キケロ、プルタルコスからの引用が特に目立つ。
エパメイノンダス(紀元前420年? – 紀元前362年)は古代ギリシャ・テーバイの軍人で政治家。貧しい貴族の家庭に生まれる。ピュタゴラス派の哲学を愛好し、清貧な生活態度と優れた徳性で知られた。親友のペロピダスと協力して祖国テーバイをスパルタから独立させた。祖国テーバイの興隆に大きな功績を持ったが、スパルタ・アテナイを敵としたマンティネイアの戦いで、戦争自体には勝利したものの自身は戦死した。

「もっとも傑出した三人の男たちについて」

ホメロス

モンテーニュは『エセー』の「もっとも傑出した男たちについて」という章で、歴史上もっとも傑出した男を3人だけ挙げるという興味深い企てをしている。

これまでに知りえたすべての男性からだれを選びますかと聞かれたら、群を抜いて優れた人物が三人いるように思う。

引用:モンテーニュ『エセー』(白水社)

まず最初に名前を挙げられるのはホメロスである。

軍人や将軍・政治家を挙げると思って準備していると意外に感じるが、ヨーロッパにギリシャ文化が与えた影響は甚大であり、なおかつそのギリシャ文化においてホメロスの持つ意味は大きなものであるから、考えてみれば不思議ではない。

アレクサンドロスとカエサル

もう1人はアレクサンドロス大王である。理由はその壮図もさることながら、それをした時の年齢の若さも挙げている。アレクサンドロスは20歳で即位し連戦連勝し、インドまで攻め入り、33歳で死んでいる。

正義、節制、寛大さ、信義の厚さ、部下への愛情、敗者への思いやりなど、数多い彼の美徳はどうだろうか。

引用:モンテーニュ『エセー』(白水社)

さらにモンテーニュはローマのカエサルを退けてアレクサンドロスを推しているのであり、彼がどれほどアレクサンドロス大王を高く評価していたかが分かる。

モンテーニュは二人を「別の場所から世界を蚕食する、二つの火の手あるいは二つの激流なのであった」と表現しつつ、カエサルが不幸な時代に遭遇した不運を加味するとアレクサンドロスに天秤が傾くとしている。

エパメイノンダスの軍事的才能

そしてモンテーニュが史上もっとも優れた三人の男の一人として最後に名前を挙げるのがエパメイノンダスである。

さて、第三の男性にして、わが判断によるならば、もっとも傑出した人物とは、エパメイノンダスなのである。栄光において、彼は他の二人にとても及ばないとはいえ、これは、ことの本質的な要素とはならない。

だが、決断力と勇気については、野心にかき立てられたものではないし、英知と理性によって、整然とした精神のなかに植えつけられたものであって、彼は想像しうるかぎりのものを有していた。この武勇の証拠を、アレクサンドロス大王やカエサルと甲乙付けがたいほど発揮したと、わたしは思う。

彼の戦いにおける殊勲は、彼らほど頻繁でもないし、大々的なものではないとはいえ、あらゆる状況を考慮した上でよく考えてみるならば、彼らに負けず劣らず重要かつ力強いものであるし、軍師としての大胆さと能力のほどを示している。

ギリシア人は、文句なしに、彼を自分たちの第一人者と呼んで、その名誉をたたえた。だが、ギリシア人の筆頭ということは、直ちに世界第一の者ということになるのではないか。

引用:モンテーニュ『エセー』(白水社)

まずモンテーニュは、エパメイノンダスの軍事的才能を讃えている。モンテーニュは、エパメイノンダスの武勇は規模において劣っていてもアレクサンドロスやカエサルにまったく引けを取らないとした。

ピュタゴタス派のエパメイノンダス

彼の知識と知性については、「彼ほど多くを知りながら、彼ほど寡黙な人はいなかった」という、古人の判断が残されている。彼はピュタゴラス派であった。非常に説得力のある、優れた雄弁家で、彼ほど巧みに話す者はいなかった。

引用:モンテーニュ『エセー』(白水社)

解説

モンテーニュはここで、エパメイノンダスが多くの知識を有しつつそれを無駄にひけらかすことなく寡黙であったことを取り上げている。

エパメイノンダスはピュタゴラス派に学んでおり、ピュタゴラス派では沈黙が重んじられた。『ギリシャ哲学者列伝』のピュタゴラスの項では、「弟子は入門して最初の五年は沈黙を守り、師の講義に耳を傾けることだけ」だったという記述が見られる。

ちなみにエパメイノンダスの哲学の師は、タラスという地の出身者でエパメイノンダスの祖国テーバイに亡命してきた「リュシス」というピュタゴラス派の哲学者である(『ギリシャ哲学者列伝』)。

エパメイノンダスはリュシスを「父」とまで呼んで敬愛したという(プルタルコス『モラリア 7』「ソクラテスのダイモニオンについて」の訳注による)。

エパメイノンダスの無垢(イノサンス)

エパメイノンダスにあっては、無垢イノサンスこそが、固有の、支配的な、確固不動の、常に変わらない特質であった。それと比較すると、アレクサンドロス大王の無垢は、従属的な、不確かな、混ざりもののある、弱くて、偶発的なものに見えてくる。

古代の判断によれば、あらゆる名将について子細に検討してみると、どの名将にも、その人を著名な存在にした、なにかしら特別な資質が見つかるものだという。ところが、この人だけは、いたるところに、変わることのない美徳と知性が満ちていて、人生のあらゆるつとめにおいて申し分ないのだ。

それには公私の別もなければ、平時と戦時の別もないし、生きることにおいても、死ぬことにおいても、偉大な輝かしい存在なのであった。その人格や運命を、わたしがこれほどの敬意と愛情を込めて見つめる人間はいない。

とはいえ、たしかに彼の友人たちが描いた、その清貧へのこだわりは、いささか潔癖すぎるかもしれない。なるほど高邁であるし、敬服にあたいするものの、このふるまいだけは、たとえ個人的に〈彼に備わったままの姿で〉まねようと望んでも、いくらなんでも、少しばかり厳しすぎるように感じずにはいられない。

引用:モンテーニュ『エセー』(白水社)

解説

モンテーニュはエパメイノンダスの本質とは「無垢(イノサンス)」だとしている。混じりっけなしの完全な美質が、まったく損なわれることなく存在した稀有な例が、エパメイノンダスなのである。

ほとんど手放しで称賛されているエパメイノンダスだが、モンテーニュは彼の清貧へのこだわりだけは行き過ぎだとした。

例えばプルタルコスの『モラリア』では、エパメイノンダスが登場する物語風対話篇「ソクラテスのダイモニオンについて」の中で、エパメイノンダスは貧乏を金銭欲や富への欲求を自制するための格好の訓練道具と考え、せっかく申し出た客人の援助を断っている。

祖国の繁栄とともに

最後にモンテーニュは「もっとも傑出した男たちについて」を次のように結んでいる。

彼が指揮するところ、どこでも勝利が、まるで影のように付いてきたのである。

〈彼が死ぬと〉、祖国の繁栄も死んだ――それが彼とともに生まれたのと同様に。

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