パスカルはモンテーニュをどう見たか。「自己を描こうとした愚かな企て」

哲学者
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「人間は考える葦である」という言葉で有名な哲学者のパスカルは、哲学者ミシェル・ド・モンテーニュについてどのように考えたのか。

パスカルのモンテーニュ観は『パンセ』の記述からうかがうことができる。

ブレーズ・パスカル(1623年6月19日 – 1662年8月19日)はフランスの哲学者。哲学・キリスト教神学・数学・発明・実業など多分野で才能を発揮した。頭脳明晰だったが健康に優れず、39歳で死去した。死後、哲学的・またキリスト教神学的思索を綴った遺稿が『パンセ』として出版されて後世に大きな影響を与える。
ミシェル・ド・モンテーニュ(1533年2月28日 – 1592年9月13日)はフランス16世紀の哲学者。カトリックとプロテスタントによる血なまぐさい宗教戦争の時代にフランス国王に仕えて政治に携わった。比較的早く一線を退き、引退後に哲学のみならず政治、戦争、文芸、文化といった多様な主題を扱う長大な主著『エセー』を著した。その著述は古典古代(古代ギリシャ・ローマ)からの影響が色濃く、セネカ、キケロ、プルタルコスからの引用が特に目立つ。

『エセー』の記述様式について

パスカルは『パンセ』の第二章「神なき人間の惨めさ」62節でモンテーニュに言及している。ここからの引用は極力中公文庫の『パンセ』に従うが、適宜漢字・ひらがなを変えることもある。

モンテーニュの混乱について。彼は、直線的方法の欠陥をよくわきまえていたので、話題から話題に飛んでは、それを避けていた。彼は垢抜けした様子を求めていたのだ。

引用:パスカル『パンセ』(中公文庫)

解説

モンテーニュの『エセー』を読むと、最初にタイトルで予告されたような主題と違う話題に次々に移っていき、最終的にまったく主題と関係のないところに結論が着地するというひどく気ままな記述を著者がしていることに気付く。

これは一見モンテーニュの性格上の大らかさに由来するものに思えるが、パスカルはそれをモンテーニュ自身が意図したものだと考えていた。

それも「彼は垢抜けした様子を求めていたのだ」という記述から、モンテーニュは外形的なスタイリッシュさを求めてそうしていたのだとパスカルは理解しているのである。

「彼が自己を描こうとした愚かな企て」

彼が自己を描こうとした愚かな企て。しかもそれは、ふとして自分の主義に反してやったことではない。そういうあやまちなら、だれにでも起こることである。

ところが、彼は自分自身の主義として、しかも初めからの主な目論見としてそれを行っているのである。なぜなら、偶然と弱さのために、ばかなことを言うのは、よくある失敗であるが、それを目論見として言うのは、我慢できないことだからである。

しかもこんなことを言うにいたっては……

引用:パスカル『パンセ』(中公文庫)

解説

「彼が自己を描こうとした愚かな企て」

思索に幾何学や数学のような緻密な正確性を求めるパスカルは、自分への過信や自己を客観視することの難しさを知っていたから、「計画的・意識的に自己について語る」というモンテーニュの行いが許せなかった。

なぜならそれは自分について正確に、あるいは少なくともかなりの程度よく知ることができているということを前提としているからである。

「モンテーニュの欠陥」

六三

モンテーニュ。
モンテーニュの欠陥は大きい。みだらな言葉。グルネー嬢がなんと言おうと、これは全く価値がない。軽信、「目のない人間」。無知、「円と等面積の正方形を求めること」「もっと大きな世界」。

引用:パスカル『パンセ』(中公文庫)太字引用者

解説

グルネー嬢(1566-1645)とはモンテーニュの晩年に知遇を得て彼の死後に『エセー』の編纂に携わった女性。モンテーニュを「父」と呼んで慕った。

『エセー』では時に性的な話題にも言及されるから、「みだら」とはそのことを言っているのだろうか。今日の基準からしてもかなり踏み込んで書いている部分もあるので、当時のキリスト教社会ではなおさら「みだら」と感じられたことだろう。

「グルネー嬢がなんと言おうと」というのは、彼女が『エセー』増補版の序文でこのことについて弁護を試みているからだという(中公文庫・訳注参照)。

「軽信」とは文字通り軽はずみに信じることで、「目のない人間」とは、該当箇所は見つけられなかったが、おそらく『エセー』のどこかで「これこれの文献によれば生まれつき目のない人間がいる」といった信憑性の薄い話を取り上げているのではないかと思える。

モンテーニュはしばしば現代で言うところの都市伝説のような荒唐無稽な話を鵜呑みにするとまでは言わないまでも、例え話の一つとして比較的真面目に取り上げていることがある。それがパスカルには気に障ったのかもしれない。

また「円と等面積の正方形を求めること」は『エセー』の「われわれの精神は、いかにそれ自体がじゃまになるか」の章中から該当箇所を見つけることができたが、そもそも元の文意も分かりにくい。

その箇所でモンテーニュは、まったく価値の同等なものなのに人間の精神によって片方が選ばれるということはなぜ起こりうるのか、またすべての箇所が同じ強度の綱が切れる場合、どこから切れるのか、すべての場所が同時に切れるという現象は自然界ではあり得ないなど、人知では測りがたい現象について言及した後にこのように結んでいる。

いま述べたようなことに、「含まれるものは、含むものよりも大きい」とか、「円の中心は、円周の大きさに等しい」だとかを、確実な証明によって結論づけたり、「絶えず接近していきながら、絶対に交わらない二本の線」を発見したりする、いわゆる幾何学の命題や、賢者の石という問題、そして円積問題など、理性と経験的事実が矛盾するような事柄を付け加えてみるならば、ひょっとすると、ここから《なにごとも不確実だということほど、確実なことはない。人間ほど、惨めで、傲慢な存在はない》(プリニウス『博物誌』二の七の二五)という、プリニウスの大胆な発言を補強する論拠を引き出せるのかもしれない。

引用:『エセー』「われわれの精神は、いかにそれ自体がじゃまになるか」太字引用者

数学に疎いのでピンと来ないが、「円積問題」が該当の「円と等面積の正方形を求める」問題で、不可能性が19世紀に証明された(白水社版『エセー』訳注)のだという。

それにしても人のことは言えないが、『エセー』のその辺りの箇所はどうにも分かりにくい悪文と思える。該当の章が2ページと異様に短い分量で終わっているのは、こうした論理や文章の混乱にモンテーニュ自身が気付いて早めに切り上げたせいかもしれない。

死に臨む態度における敬虔さの欠如

続けて『パンセ』におけるパスカルのモンテーニュ評を扱う。

自殺や死についての彼の気持。彼は救いについての無関心をふきこむ、「恐れもなく悔いもなく」。彼の著書は人を敬虔にさせるために書かれたものではないから、この義務はなかった。しかし、人をそれからそらさないという義務は、どんな場合にもあるのである。

人生のある場合における彼の、少し手放しで、享楽的な気持ちは許すことができる。(略)しかし、彼の死に対する全く異教的な気持は許すことができない。

なぜなら、すくなくとも死ぬことだけはキリスト教的にしようと願わないのだったら、敬虔の心をすっかり断念しなければならないからである。ところが彼はその著書全体を通じて、だらしなくふんわりと死ぬことばかりを考えている。

引用:パスカル『パンセ』(中公文庫)太字引用者

解説

「彼の著書」とはモンテーニュの『エセー』を意味しているのだろう。たしかにそれは明らかに「人を敬虔にさせるために書かれたものではない」。モンテーニュ自身の満足のために書かれたという要素が大きい。

パスカルは特に、モンテーニュの死に対する態度を集中的に責めている。「異教的」とはキリスト者にとってはかなりの悪罵と言える。

それほどパスカルに許せなかったモンテーニュの死に臨む態度とは例えば次のようなものだ。
(モンテーニュ『エセー』からの引用)

もう一度生まれ変わるとしても、わたしは、これまで生きてきたように生きるのではないだろうか。過ぎ去ったことを悔やみもせず、未来をおそれることもない

わたしの思いちがいでなければ、内側についても、外側についても、ことはほぼ同じように運んだのである。わたしの身体の状態は、各部分がその時節をえて運ばれていったが、これはわたしが、自分の運命に対してもっとも感謝していることに他ならない。

わたしは、わが身体という草がはえ、花が咲き、実がなるのを見てきたし、そして今、それが枯れるのに立ち会っている。しあわせなことだ。なぜならそれが自然のなりゆきであったのだから。

引用:『エセー』「後悔について」太字引用者

おそらくパスカルの言う「恐れもなく悔いもなく」は「過ぎ去ったことを悔やみもせず、未来をおそれることもない」という箇所である。

この引用箇所は比較的「だらしなくふんわりと死ぬ」という感じが出ているが、それでもやはり、なぜそれほどまでにパスカルが反感を覚えたかは理解しにくい。

パスカルには真摯な信仰があったから、死についての話題でも聖書やキリスト教的神に関する言及の少ないモンテーニュの記述に、キリスト者としての触覚が反感を覚えたということだろうか。

モンテーニュの美点と欠点

六四

モンテーニュのなかで私が読みとるすべてのものは、彼のなかではなく、私自身のなかで見いだしているのである。

六五

モンテーニュ。
モンテーニュにあるいいものは、なかなか手に入れにくいものである。彼にある悪いもの、といっても、品行の点を別にしての話であるが、それは、彼がどうでもいいことをくどくど言いすぎるし、また自分のことを話しすぎるということを彼に注意してやりさえすれば、すぐにでも改められたことだろう。

引用:パスカル『パンセ』(中公文庫)

解説

ここまでモンテーニュを批判していたパスカルだが、今度は一転して自分を顧みて「モンテーニュのなかで私が読みとるすべてのものは、彼のなかではなく、私自身のなかで見いだしている」と述べる。

またモンテーニュの美点に注目し、余人の得がたいものを持っている、そして欠点はすぐに改められるようなものに過ぎない、としている。

こうした急な転回は、パスカルの知的な良心が感情的な批判に溺れるのを許さなかったために意識的に起こされたものだと考えられる。

パスカル『パンセ』に見られるモンテーニュへの言及は以上で終わりである。

ニーチェによるパスカルとモンテーニュへの言及

ちなみにニーチェも、パスカルがモンテーニュをどのように感じていたかについて言及している。

恰幅かっぷくのよい頭にとって、懐疑は何というよい枕だろう!」――モンテーニュのこの言葉は、パスカルをいつも憤慨させた。というのは、パスカルほど、よい枕をとくにそんなに強く熱望した人はいなかったからである。

引用:ニーチェ『曙光』(ちくま学芸文庫)

ニーチェは、パスカルが常に悩ましい思索に苦しんだことから、思索における懐疑を誇り、楽しんだ懐疑主義者のモンテーニュを苦々しく思ったのだとしている。

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