ニーチェはソクラテスをどう見たか。「兵士のように生きたペシミスト」

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フリードリヒ・ニーチェはソクラテスについてどう見たのだろうか。

ニーチェのソクラテス観は、ニーチェの著書『悦ばしき知識』の中でうかがうことができる。

フリードリヒ・ニーチェ(1844年10月15日 – 1900年8月25日)はドイツの哲学者。哲学者ショーペンハウアー、音楽家ヴァーグナーに影響されるも後に決別。1889年に発狂、その11年後の1900年に死没している。「神の死」「超人」「永劫回帰」といった概念によって現代にまで強い影響力を持つ哲学を展開した。

ソクラテス(紀元前469年頃 – 紀元前399年頃)は古代ギリシャの哲学者。デルポイの信託を切っ掛けとして政治的・知的に混乱していた当時のアテナイで問答を活発に行ったが、裁判によって死罪を宣告されたために毒杯を呑んで死んだ。哲学の中心に倫理や徳をすえて「ソクラテス以前・以後」と表現されるほど後世に大きな影響を持つ。

ペシミストとしてのソクラテス

死に臨んだソクラテス・・・・・・・・・・。――ソクラテスが行なったり、言ったり、――あるいは言わなかったり――したことのすべてにわたって見られる彼の剛毅と英知に、私は感嘆する。

皮肉でもあり溺愛されもしたこのアテナイの怪物にして誘惑者、このソクラテスは、不遜きわまる若者たちをも震え上がらせ嗚咽させたものだが、しかし彼はたんに、かつて存在した最も賢い饒舌家だっただけではない、彼は沈黙においても同じく偉大であった。

私の思うには、彼は最後の瞬間にも沈黙を守ってくれたらよかったのだ――そうすればおそらく彼は一層高級な精神の一人に数えられたことであろう。

ところが、それが死か毒薬か敬虔か悪意かそのどれだったか知らないが――とにかくある何ものかが、あの最後の瞬間に彼の口を解きほぐした、で彼は言った――

「おお、クリトンよ、私はアスクレピオス神に雄鶏一羽の借りがある」この笑止でもあり恐ろしくもある「末期の言葉」は、聞く耳のある人には、こう聞こえる――

「おお、クリトンよ、人生は一個の病気である・・・・・・・・・・・!」と。

こともあろうに! 明朗で、誰が見てもひとりの兵士のように生きてきた、彼ほどの人物が、――ペシミストだったとは!どうやら彼は人生に対し良い顔をして見せていただけだったのであり、一生涯自分の究極の判断、自分の奥底の感情を隠していたのだ!

ソクラテス、このソクラテスが、人生に悩んでいた・・・・・・・・のだ! のみならず彼はなおその復讐までやったのだ――あの婉曲な、ぞっとするような、信心ぶった、だが瀆神(とくしん)的な言葉でもって!

引用:フリードリヒ・ニーチェ『悦ばしき知識』(ちくま学芸文庫)

解説

「アスクレピオス」は医術の神。死者さえも生き返らせたとされる名医だったが、生死の秩序を乱したことからゼウスの落雷に打ち殺される。しかし死後、その医術への功績から神々の座に列せられた。――Wikipedia

文中の「瀆神(とくしん)」という言葉は「神を汚す、冒瀆(ぼうとく)する」という意味の言葉である。

ソクラテス・プラトン研究の第一人者だった田中美知太郎によって「クリトーン、アスクレーピオスに鶏をお供えしなければならない。忘れないで供えてくれ」(プラトンの『パイドーン』新潮文庫)と訳されているソクラテスの末期の言葉は、通常とりたてて注目されるものではない。

それはごく素朴に、信心深いソクラテスが、最後の最後まで神への感謝を忘れていなかったことを示していると解されるのが一般的である。

つまり素直に解釈するなら、ソクラテスのその言葉の意味は、アスクレピオス神に「ここまで長く生きることができたのはあなたが私に許してくれた健康のおかげです」という意味で感謝を捧げたものだ。

しかし一方で、まさにこれから死ぬ時、命を失う時に、健康と長寿をつかさどる神に供物を捧げるのは不自然と解することも可能である。

それをとらえてニーチェは、本質はペシミスト(厭世家)だったソクラテスが、最期の気の緩んだ瞬間に漏らしてした「神への当てつけ」であり「皮肉」として解したのだ。

「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉は、使う場面や状況によっては痛烈な皮肉になりうるが、ニーチェはまさにソクラテスのこの言葉を、皮肉としての「ありがとう」、当てつけとしての「感謝」と理解したということになる。

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