後藤忠政から見た小泉純一郎「国民の痛みなんか分かるわけないわな」

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元山口組系・後藤組組長だった後藤忠政は政治家の小泉純一郎についてどう見ていたのか。

後藤忠政は小泉純一郎について自著『憚りながら』(宝島社)の中で、小泉進次郎や竹中平蔵らとともに言及している。

「国民の痛みなんか分かるわけないわな」

後藤忠政は自著『憚りながら』の中で、森喜朗が首相になったぐらいの時期から自民党がガタガタになった、と述べてから小泉純一郎についてこのように語っている。

それで(自民党の)支持率がどん底まで落ち込んだ時に出てきたのが、小泉だ。

「自民党をぶっ壊す」とか言って、自分の組にケンカ仕掛けるようなマネして、それを「小泉劇場」だなんだって、テレビが面白おかしく取り上げるもんだから、国民もまんまと乗せられちゃって(05年の総選挙で)圧勝だ。

「構造改革だ」「規制緩和だ」と言って日本を「ぶっ壊した」挙句、小泉が何を残した? 自分の息子だけだろ? その息子(小泉進次郎・衆議院議員)が今は「自民党の顔」だって? 勘弁してくれよっていう話だな。

小泉には、国民もいいようにやられた。国民は、小泉が不景気を何とかしてくれると思っていたからこそ、小泉の言う「痛み」とかも受け入れたんだろうが、結局は竹中平蔵(元金融担当大臣)とかにグダグダにされて、貧富の差がさらに激しくなって、「痛み」だけ押し付けられて終わったな。

おまけに、小泉が首相だった5年間に、「医療制度改革だ」なんだと言って、気づかないうちに、自分たちの生活を直撃する法律がドンドン通って、がんじがらめにされたんだ。

なんでも小泉には、あの「自民党の顔」とか言われて勘違いしてる息子(次男)の下に、もうひとり息子がいるらしいじゃないか。前の女房と別れた時に、女房のほうに引き取られた子が。ところが、その子(三男)が大きくなってから「お父さん(小泉)に会いたい」って涙ながらに電話してきたのに、小泉のほうは「血は繋がってるけど、親子関係はない」と突き放したっていう話だろ。自分の血を分けた子供でも切り捨てるような男に、そもそも国民の「痛み」なんか分かるわけがないわな。

けど、国民は馬鹿じゃないもんでな。完全に目が覚めた後は、「小泉チルドレン」とかいう連中は(09年の衆院選で)皆、落っこちた。あれだけ大騒ぎしてた「郵政改革」も、今や元に戻ろうとしてるし、結局、小泉が仕掛けたケンカにも、あいつの政治にも何ひとつ″大義“がなかったということだな。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年) 214~216ページ

後藤忠政はこのように小泉純一郎について述べている。

さらにこの文のすぐ後で、後藤は安倍晋三について言及する。

「小泉は度し難い」

また別の箇所で後藤忠政は、麻生太郎がアメリカに軽く扱われていると述べてから、小泉についてこのように評している。

小泉(元首相)にしたって同じだ。マスコミは(小泉が)ブッシュ(全アメリカ大統領)と仲良しだと言ってたけど、小泉がアメリカに着いて、飛行機を降りてきたら、ブッシュは握手しながら肩をポンポンと叩いたわけだ。

あのポンポンってのは、目下の者にやる仕草であって、兄弟分にはやらないよ。相手に少しでも尊敬の念を抱いていたら、絶対にやらん仕草だ。ところが、小泉は(ブッシュから)そんなマネされても、まだプレスリーの物真似なんかやってたんだから度し難いよな。あれじゃあ、アメリカから舐められてもしょうがない。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年) 219ページ

後藤忠政(ごとうただまさ)

後藤忠政(ごとう・ただまさ)は1942年9月16日生まれ。本名は同じ読みの後藤忠正。元暴力団組長、元山口組系・後藤組組長。東京で4人兄弟の末っ子として生まれるが、2歳の時に静岡県の富士宮市に疎開、それ以降この地で育つ。富士宮の愚連隊から昭和47年に山口組川内組に入り、その後、後藤組を結成。後に伊堂組舎弟となる。五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟などを務め武闘派組長として知られたが、2008年に除籍処分を受けてそれを機に引退した。(参考:Wikipedia

小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)

小泉 純一郎(こいずみ じゅんいちろう、1942年〈昭和17年〉1月8日 – )は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、厚生大臣(第69・70・81代)、郵政大臣(第55代)、内閣総理大臣(第87・88・89代)、自由民主党総裁(第20代)、農林水産大臣(第38代)などを歴任した。

引用:Wikipedia

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