後藤忠政から見た森喜朗「俺みたいなチンピラでも呆れるぐらい」

この記事は約2分で読めます。

元後藤組組長の後藤忠政は、自民党の政治家である森喜朗についてどう見ていたのか。

後藤忠政は森喜朗について、自著『憚りながら』の中で手短に言及している。

「俺みたいなチンピラでも呆れるぐらい」

後藤忠政は自著『憚りながら』の中で、自民党の議員が党首について批判的に言うことについて「自分で選んだ親分の悪口を自分で言うのはおかしい」といった趣旨のことを述べ、その流れで森喜朗にわずかに言及している。

森(喜朗)が首相になってからぐらいかな、自民党がガタガタになってきたのは。あれ(森)は俺みたいなチンピラから見ても、呆れるぐらいだったから。

引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年)214ページ

一方で元外交官で作家の佐藤優は森喜朗について好意的に言及している。

後藤忠政(ごとうただまさ)

後藤忠政(ごとう・ただまさ)は1942年9月16日生まれ。本名は同じ読みの後藤忠正。元暴力団組長、元山口組系・後藤組組長。東京で4人兄弟の末っ子として生まれるが、2歳の時に静岡県の富士宮市に疎開、それ以降この地で育つ。富士宮の愚連隊から昭和47年に山口組川内組に入り、その後、後藤組を結成。後に伊堂組舎弟となる。五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟などを務め武闘派組長として知られたが、2008年に除籍処分を受けてそれを機に引退した。(参考:Wikipedia

森喜朗(もりよしろう)

森 喜朗(もり よしろう、1937年〈昭和12年〉7月14日 – )は、日本の政治家。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長。

衆議院議員、文部大臣(第105代)、通商産業大臣(第56代)、建設大臣(第62代)、内閣総理大臣(第85、86代)、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、自由民主党総務会長、自由民主党総裁(第19代)などを歴任した。

引用:Wikipedia

タイトルとURLをコピーしました