田中清玄から見た田岡一雄「一人の侠客で終生の友人だった」

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右翼の田中清玄は、三代目山口組組長の田岡一雄をどのように見ていたのか。

田中清玄は『田中清玄自伝』の中で田岡一雄について言及している。

報復しようとする田岡一雄を止める

田中清玄は児玉誉士夫との争いが元で、暴力団・東声会の組員に狙撃されて怪我を負ったことがある。

『田中清玄自伝』ではこの時、復讐に動こうとする田岡一雄を田中清玄が必死に止めたというエピソードを紹介している。

こっちの連中が児玉を狙い出したので、僕は田岡さんに「児玉に対する復讐はやめてくれ。二・二六のように血で血を洗うようなことをやってたら、日本の破滅だ。僕は助かったんだから、やめてくれ」と繰り返し言ったんだ。

そこらの暴力団なんか田岡さんが動いたら吹っ飛びますからね。

田岡さんは初めは「しかし、この際、ここで根を断っておかないと、こいつらは二度も三度も同じことをやる」という意見だ。

僕はしかし、「人間、仏ごころを持つことも、ときには必要だよ」と言ったので、田岡さんも最後は「ようし、わかった。あいつらこのままでは生かしておかんつもりだったけど、田中さんがそれ程言うならやめよう」と。

引用:『田中清玄自伝』(ちくま文庫、2008年)168、169頁

田中清玄は橘孝三郎・三上卓・児玉誉士夫・赤尾敏・四元義隆をどう見たか
戦後の大物右翼・田中清玄は他の右翼についてどのように考えていたのだろうか。 ここでは橘孝三郎、三上卓、児玉誉士夫、赤尾敏、四元義隆らをどのように見ていたかを『田中清玄自伝』(ちくま文庫)の記述から取り上げる。 以下、右翼の各人物...

「田岡一雄という一人の侠客とは終生の友人だった」

また田中清玄は『自伝』で、インタビュアーの大須賀瑞夫の質問にこのように答えている。

――山口組とは今も付き合いがあるのですか。

いいえ。私は何も山口組と付き合ったわけではありません。私が付き合ったのは田岡一雄という一人の侠客であって、彼とは終生の友人でした。それはだれが何と言おうとまったく変わりません。いったん信じたら、とことん付き合うのが私の流儀ですから。

引用:『田中清玄自伝』(ちくま文庫、2008年)178頁

『田中清玄自伝』の見どころ・読みどころ

この記事の引用文は『田中清玄自伝』からのものである。

『田中清玄自伝』の面白さは、まずはそこに出てくる人物の異常なまでの幅広さである。

ざっと有名な名前を上げるだけでも、マルクス主義・共産党関係者なら徳田球一、野坂参三、文学者なら太宰治、亀井勝一郎、三島由紀夫、林房雄、禅僧の山本玄峰、右翼の野村秋介、三上卓、四元義隆、王族や皇族関係者なら昭和天皇、オットー大公、スペインのカルロス国王、学者ならハイエク、今西錦司、アウトローでは田岡一雄、ジャック=ボーメル(フランスのギャング)、政治家ならスカルノ大統領、鄧小平、鈴木貫太郎、田中角栄、中曽根康弘、小沢一郎などなど。

これでも一部のほんのわずかな名前を挙げただけで、ともかく到底ここで挙げ切ることのできないくらい多士済々である。

その数もさることながらあまりに広い分野にまたがった人物の名が出てくるため、おそらく『田中清玄自伝』に登場する名前をすべて知っているなどと言える人はほぼいないか、いたとすれば相当な教養人だろう。

くわえて、祖先が会津藩の家老で会津者であることを誇りにしている田中は、竹を割ったような性格をしており、自ずと口吻も力強く断定的になって、有名人や多くの人にとって評価の高い人物を自分の見地から一刀両断してしまうところなど、その語り口の意外性・面白さは読む者に尽きない知的興奮を与えてくれる。

最後に言うまでもないが、その思想の是非はともかく、自分の信念と理想のために世界中を駆けて回った田中の世界観の雄大さ・スケールの大きさは、それに触れる者に強い感動を覚えさせてくれるものである。

この記事の主要な登場人物

田中清玄

田中清玄(右翼)・・・Wikipedia

田岡一雄

田岡一雄(ヤクザ)・・・Wikipedia
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