山口二矢(やまぐち おとや)は戦後の右翼活動家としては、三島由紀夫、野村秋介あたりに次いで有名で、民族主義活動家の間で崇敬の対象とされる一人となっている。
その山口二矢について、元暴力団組長の後藤忠政は自著の中で言及している。
この記事の主要な登場人物
「あんな生き方ができたらと憧れた」
山口組の二次団体である後藤組組長だった後藤忠政は、自著の『憚りながら』(はばかりながら)の中で、少年時代の喧嘩について言及した後で、浅沼刺殺事件の実行犯である山口二矢について触れている。
ちょうどそれと同じ頃に、社会党委員長の浅沼(稲次郎)刺殺の事件があった(1960年)。あれをやった山口二矢は、俺と同い年でさ。「われわれの世代にも、凄い男がいるんだなあ」と思ったよ。
17歳で、自分の思想、信念のもとに政治家を殺して、鑑別所で命を閉じるなんて、凄い衝撃だった。ショックを受けたよ。俺もあんな生き方ができたらと、一時は右翼に憧れたもんだ。
田舎だったから、(右翼団体に入る)機会はなかったけど、「同い年でもあんな奴がいるのに、逃げたら恥ずかしいじゃないか、男としてみっともないじゃないか」ということは思ったな。
引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年)38ページ
後藤忠政『憚りながら』の見どころ・読みどころ
この記事の引用文は後藤忠政の著書『憚りながら(はばかりながら)』からのものである。
この著書『憚りながら』では、後藤忠政が、父や兄にいじめられていた幼少期の記憶から説き起こし、静岡での愚連隊時代、山口組組長時代など、各時期についてそれぞれ起こった出来事や印象に残ったことなどを語っている。
その面白さは暴力団組長としての後藤忠政の経歴に興味のある人にとっては無論のことだが、そこに出てくる人物の多士済々な顔触れは、仮に裏社会に興味のない人でも興味深く読めるのではないかと思わせるものである。
裏表問わず縦横に繰り広げられる後藤の人物評は、賛否はともかくとして、なるほど例え裏社会であっても位人臣を極めた人はそれなりの一家言を持つに至るものなのだな、と思わせてくれる。
また言うまでもなく、子供から不良少年に、不良少年からチンピラに、チンピラからヤクザに、そしてヤクザ渡世を引退、という後藤忠政のヤクザ渡世を俯瞰できるこの著書は、アウトローに興味のある人なら一度は読んでみても損はないだろう。