小説家の三島由紀夫はアメリカの小説家、ノーマン・メイラーをどう見たのだろうか。
三島はノーマン・メイラーについて『対談集 源泉の感情』で言及している。
この記事の主要な登場人物
三島由紀夫(みしまゆきお)
ノーマン・メイラー
「こんなに自分のことばかり話す男は俺は嫌いだ」
三島は安部公房との対談でノーマン・メイラーについてこのように述べている。
三島 僕は、二十世紀の文学のあるものについて、生理的嫌悪を感ずるのは、自分に関心を持ちすぎるというのが、とても耐えられないのだ。ノーマン・メイラーの小説を読むと、なんでこの男はこんなに自分に興味を持っているのか。
『ぼく自身のための広告』ね、あれなんか読んでも、なかにはずいぶんおもしろい部分もあるし、小説家としてすばらしい才能もあると思うが、こんなに自分のことばかり話す男はおれはきらいだと思うのだよ。
それは告白というものではなくて、告白よりもっと追いつめられたものだな。告白というものは、白鳥が一回叫ぶように、やはり一回だけ叫ぶのが告白だと思うけれどもね。ああ年中、自分のことに興味があっては、しょうがないと思うのだよ。
引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)86頁
三島由紀夫の対談集『源泉の感情』の見どころ・読みどころ
この対談は三島由紀夫の対談集『源泉の感情』(河出文庫)に収録されている。
『源泉の感情』では、小林秀雄、舟橋聖一、安部公房、野坂昭如、福田恆存、芥川比呂志、石原慎太郎、武田泰淳といったそうそうたる文士と三島の対談は当然面白いのだが、管理人が個人的に面白かったのが伝統芸能の名人たちとの対談である。
肉体を用いた表現者と言葉を用いた表現者である三島との対談は通じ合うようでまったく噛み合わず、その不成立具合が一周して逆に面白い。
これには三島も後書きで素直に「参った」と述べ、さらに
言葉で表現する必要のない或るきわめて重大な事柄に関わり合い、そのために研鑽しているという名人の自負こそ、名人をして名人たらしめるものだが、そういう人に論理的なわかりやすさなどを期待してはいけないのである。
今も思い出す最大の難物は故山城少掾で、この対談に冷汗を流して格闘した結果、すんだあとで、私は軽い脳貧血を起こしてしまった。
引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)421頁
と言って白旗を上げている。(山城少掾は名人と謳われた義太夫節大夫。参考:Wikipedia)