三島由紀夫は谷崎潤一郎をどう見たか「日本語を代表した偉大な作家」

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小説家の三島由紀夫は小説家の谷崎潤一郎をどう見たのだろうか。三島は谷崎潤一郎について『対談集・源泉の感情』(河出文庫)の舟橋聖一との対談で言及している。

「谷崎ほどの大作家が死んだのだから国家が弔旗をかかげてもいい」

三島由紀夫は対談の冒頭、最近谷崎潤一郎が亡くなったことに対する世間の反応が薄かったことについてこのように述べている。

三島 僕は谷崎さんが亡くなったあと、ずっと世間を見ていて慨嘆したことがあるんです。これだけの作家が亡くなれば、国家が弔旗をかかげてもいいし、国民が全部黙祷してもいいんじゃないかと思いますがね。

とにかく世間の言いかたは、大往生、幸福な死に方だったというだけでね。谷崎さん、もちろん生きることを楽しまれたには違いないけれども、仕事にはほんとうに苦しみを続けてやられた。その一生の成果が国民的な哀悼という形で迎えられないというのは、ちょっと僕は慨嘆にたえない。

引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)42頁

「谷崎は町人文化を代表しているがゆえに評価されづらい」

また三島は、谷崎はその功績に比例して評価されづらい理由について、武士文化と別種の町人文化を代表しているがゆえに、評価されづらかったのだと推測する。

三島 もう一つ考えられる理由は、谷崎さんが町人文化の上の人だということでしょうね。僕たち、鴎外に対していつもあこがれを感じるのは、さむらい文化の成果だから。それで、ああいうものにわれわれちょっとよわいところがあって、谷崎さんはそういう要素が全然ないという点じゃ、実に徹底していますからね。

志賀直哉さんには、やっぱりさむらいの血筋がありますけれども、谷崎さんには全然さむらい的なところがない。しかし、まあ町人文化でも大近松になり西鶴になるので、ああいう流れの日本の文豪というものは、いつもそういう目に会うんですね。

引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)45頁

「谷崎は自己韜晦に成功した人」

さらに三島は舟橋聖一の「谷崎さんは一生格闘した人だと思う」という言葉を受けてこう語る。

三島 やっぱり都会人で、羞恥心が強いから格闘なんていうところ、人に見せたくないし、それで、闘っているなんて、野暮な下品なことですから見せたくない。なるたけ負けたような顔をして、そして非常に自己韜晦の成功した人だと思いますね。世間はわりあいすなおで、「そうですか。じゃ、あなた闘ってないんでしょう」ととるんだから、ばかですね。

引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)55頁

自己韜晦(じことうかい)は自分の本心を隠すことを意味する言葉

「日本語をあそこまで代表した谷崎は偉大」

また三島は、戦後、ヒューマニズムと関係のある文化人が重点的に評価されるようになったと述べてから、こう語る。

三島 だけど、日本人というのは、何もヒューマニズムの哲学をもっているから偉大なんじゃなくて、日本語というものをあそこまで代表した作家なら、偉大じゃないか。ヒューマニズムなんて西洋の輸入物なんだから、少なくとも日本の文学伝統の上に立って、それをあそこまで、日本語のああいう美的な大構築物をつくったというだけでも、偉大なんじゃないか。そういう意味では、美術家や建築家の偉大と似ているんじゃないかと思うんですよね。

引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)58頁

対談相手の舟橋聖一については下記参照。

舟橋聖一は日本の小説家。1904年(明治37年)~1976年(昭和51年)。戯曲『白い腕』を発表し文壇入り。戦後『雪夫人絵図』などの風俗小説で流行作家となった。相撲好きで横綱審議委員会の委員長も務めた経験がある。(参考:Wikipedia

今回の記事内容は『源泉の感情 (河出文庫)』から引用した。

三島由紀夫(みしまゆきお)

三島由紀夫は日本の小説家、劇作家、評論家。生年月日は1925年(大正14年)1月14日。小説『仮面の告白』で高く評価され、その後も『潮騒』『金閣寺』といった優れた作品を生み出し続け、ノーベル賞候補になるほどの目覚ましい活躍を見せた。昭和30年ごろから肉体の鍛錬に目覚めると民族主義的思想を表明し、民兵組織「盾の会」を結成。小説『豊穣の海』の第4部を書き終えた直後、1970年(昭和45年)11月25日に市ヶ谷の駐屯地に乱入、自衛隊への決起の呼び掛けが不発に終わると割腹自殺した。
(参考:Wikipedia

谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 – 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。

初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎(おおたにざき)」と称された。

引用:Wikipedia

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