小説家の三島由紀夫は昭和天皇をどう見たのだろうか。三島は昭和天皇について、東大全共闘との討論をまとめた『美と共同体と東大闘争』(角川文庫)で言及している。
三島由紀夫(みしまゆきお)
昭和天皇(しょうわてんのう)
昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇[注釈 3](在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。
第二次世界大戦前に即位し、日本が復興するまで60年余りに亘って在位し、明治憲法に定められた「統治権の総攬者(そうらんしゃ)」としての天皇と日本国憲法に定められた「象徴天皇」の両方を経験した[2]。
引用:Wikipedia
「卒業式でとてもご立派だった」
三島は天皇主義者であるから普遍的な論としての「天皇論」を語ることは多い。
一方で天皇個人に抱いた印象や思い出を語ることは珍しいのだが、『美と共同体と東大闘争』(角川文庫)では珍しく昭和天皇の個人的印象・思い出を語っている。
三島は全共闘の一人と天皇論を戦わせる中で、このように述べている。
こんなことを言うと、あげ足をとられるから言いたくないのだけれども、ひとつ個人的な感想を聞いてください。というのはだね、ぼくらは戦争中に生まれた人間でね、こういうところに陛下が座っておられて、三時間全然微動もしない姿を見ている。とにかく三時間、木像のごとく全然微動もしない、卒業式で。そういう天皇から私は時計をもらった。そういう個人的恩顧があるんだな。
こんなことを言いたくないよ、おれは。(笑) 言いたくないけれどね、人間の個人的な歴史の中でそんなことがあるんだ。そしてそれがどうしてもおれの中で否定できないのだ。それはとてもご立派だった、その時の天皇は。それが今は敗戦で呼び出されてからなかなかそういうところに戻られないけれどもね、ぼくの中でそういう原イメージがあることはある。
引用:『美と共同体と東大闘争 』 (角川文庫、平成12年)109頁