「武士道といふは死ぬ事と見つけたり」という言葉で有名な『葉隠』の口述者・山本常朝(やまもと・じょうちょう)は、『忠臣蔵』の原案となった赤穂(あこう)事件で知られる大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)についてどのように見ていたのだろうか。
山本常朝の大石内蔵助観は、『葉隠』の記述から窺うことができる。(引用は三島由紀夫『葉隠入門』から行う)
「打返しの仕様は切り殺さるる迄なり」
ここから、山本常朝が赤穂事件や大石内蔵助について言及した箇所とその前後を抜粋していく。
前段は復讐・仕返し一般に関して話しており、その流れで赤穂事件の話になる。まずはその前段から。
何某、喧嘩打返しをせぬ故恥になりたり。打返しの仕様は踏みかけて切り殺さるる迄(まで)なり。これにて恥にならざるなり。仕果す(しおおす)べきと思ふ故、間に合わず。向(むこう)は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極るなり。相手何千人もあれ、片端よりなで切りと思ひ定めて、立ち向ふ迄にて成就なり。多分仕済ますものなり。
引用:三島由紀夫『葉隠入門』(新潮文庫、昭和58年)120頁(聞書第一・五五)
現代語で訳せば、このようになる。
「ある人が喧嘩の仕返しをしないために恥をかいたことがある。仕返しの方法といったものは、踏み込んで斬り殺されるまでやることに尽きる。ここまでやれば恥にはならない」
「うまくやりとげようと思うから、かえって間に合わないことになるのだ。むこうはおおぜいだからこれはとてもたいへんなことだ、などといっているうちに時間がたってしまい、ついに終わりにしてしまう相談にでもなるのが落ちだ」
「たとえ相手がなん十人いたとしても、片っぱしからなで斬りにしようと決心して立ちむかうことで、ことの決着がつく。それでたぶんうまくいくものだ」(訳は三島由紀夫『葉隠入門』による)
「敵を討つこと延延。吉良殿病死の時は残念千万なり」
その続きで赤穂事件の話が出てくる。
又浅野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが越度(おちど)なり。又主を討たせて、敵を討つ事延々(のびのび)なり。もしその内に吉良殿病死の時は残念千万なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるる仕様は上手なれども、長崎喧嘩の様に無分別にすることはならぬなり。
引用:三島由紀夫『葉隠入門』(新潮文庫、昭和58年)120頁(聞書第一・五五)
「また浅野の浪人たちの夜襲にしても泉岳寺で腹を切らなかったことがそもそも失敗だといえる。主人がやられたのに、敵を討ちとることがのびのびとなっていたが、もしそのうちに吉良殿が病死でもされてしまったら、まったくもって、とりかえしのつかないことになる」(三島由紀夫『葉隠入門』による)
「泉岳寺」は大石らの主君である浅野内匠頭の墓があった寺で、討ち入りに成功した赤穂浪士らは討入り後に吉良の首級を墓前に備えに行っている。ここで常朝は、墓前に供えるという目的を達成したなら、その場でさっさと切腹して終わりにすべきだったと述べている。
次いで大石ら赤穂浪士が仇討まで時間をかけすぎていることを指摘し、「その間に仇の吉良上野介が病気で死んでしまったりしたなら取返しのつかないことだ」、そして「上方の侍は利口なので褒められるのは上手だが、長崎喧嘩のように無鉄砲に振る舞うことはできないのだ」と言っている。
「上方」は、一般的には天皇の住む京の都を中心とした一帯を指す。しかし『葉隠』では「上方風の打ち上がりたる武士道」(上方風の思いあがった武士道)というように一貫して否定的に使われる言葉である。
『葉隠』の中での「上方風」は、佐賀藩をはじめとする武骨な地方武士の風俗と対蹠的な意味の言葉で、現代で言うところの(東京外・地方人が皮肉を込めて言う場合における)「都会風」「東京風」のような言葉に近いニュアンスで用いられている。
したがってここで山本常朝は、上方武士の大石内蔵助らの赤穂事件よりも、速効的で我武者羅な仕返しをした郷里を同じくする長崎藩士らの長崎喧嘩を、本来あるべき武士の仕返しとして上位に置いているのである。
このように後世武士道の精華のように称されるようになった赤穂事件(間接的にはその中心人物の大石内蔵助)を、山本常朝が称賛するかと思いきやダメ出ししていることは興味深い。
五五節の結び
またこの聞書第一の五五節は「時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別なり。死ぬ迄なり。その場に叶はずば打返しなり。これには智慧業も入らざるなり。曲者といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覚むるなり」と結ばれている。
現代日本語で言うなら大略、「勝つか負けるかは時の運だが、恥をかかない仕方はまた別だ。死ぬだけだ。その場でできなければ仕返しに行けばいい。これには知恵なんて必要ない。強い侍は勝つか負けるかという打算などなく、ただただ死ぬ気で暴れる者をいうのだ。これで目も覚めるというものだ」という意味であろう。
三島由紀夫の『葉隠入門』
この記事は三島由紀夫の『葉隠入門』から書かれた。
『葉隠入門』は三島が『葉隠』から要点を抜き出してまとめたものである。
管理人は、本来古典的傑作・名作というのは可能な限り原典に当たるのが基本と考えているが、あいにく岩波文庫から出ている『葉隠』は現代語訳がついておらず、普通の人にはきわめて読みにくい。
よほど真剣な研究心でチャレンジするのではない限り、初学者は三島の『葉隠入門』から読むことをお勧めする。
本記事で扱った『葉隠』の関連書籍では、童門冬二の『葉隠の人生訓』を、Amazonの電子書籍読み放題サービス『Kindle Unlimited』で読むことができる。(2022年11月11日閲覧時の情報)