小説家の三島由紀夫は、深沢七郎と野坂昭如をどう見たのか。
三島は深沢七郎と野坂昭如について対談集『源泉の感情』の武田泰淳との対談で言及している。
(深沢七郎は三島や野坂に比べれば知名度で劣るかもしれないが、「楢山節考」「風流夢譚」といった小説を書いた作家である)
小説家の三島由紀夫は、深沢七郎と野坂昭如をどう見たのか。
三島は深沢七郎と野坂昭如について対談集『源泉の感情』の武田泰淳との対談で言及している。
(深沢七郎は三島や野坂に比べれば知名度で劣るかもしれないが、「楢山節考」「風流夢譚」といった小説を書いた作家である)
三島は武田泰淳との対談で、書名は伏せた上で、最近野坂のある小説を読んだという話をしている。
(三島)僕はそれをいつも感じるのは、たとえば、引合いに出して悪いけれども、このあいだ野坂昭如の小説を読んだんだ。作品の名前は言わないでおこう。
僕は、初めの部分は感心したんですよね。ところが、ある部分から小説が離陸しちゃうんです、飛行場から。飛行場から離陸しちゃうと、あと機械の動きなんですよ。
飛行場で油を入れて機械を入れて機械が動き出すでしょう、そこまではすごいんですよ。ところが、プロペラでも、ジェット機でもいいが、動き出したら、あと機械ですからね、ピューッとどこまでも上るんです。
だけどそれは小説じゃないんですよ。
引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)248、249頁。文中()内は引用者による
「離陸する」という表現はやや分かりにくいが、おそらく、現場でその出来事・事件をまざまざと見るような、優れた小説特有の臨場感を表現し損なっている、という意味だろう。
三島 だから深沢七郎なんか、離陸しないでしょう、絶対。あれは気味の悪い生理的なものが引き止めて、離陸しないんですよね。ああいうことができればいいんですけれども、しかしあれはインテリにはむずかしい方法ですよ(笑)。
引用:三島由紀夫『 源泉の感情』(河出文庫、2006年)250頁
そして武田泰淳が同じように、自分は良くも悪くも深沢七郎が書くようには書けない、と述べたことを受けて、三島はそれに同意しながらこのように語る。
三島 ほんとうにああはいかない(笑)。知恵の悲しみだね。僕は野坂というのは、深沢と比べれば、ずっとインテリの欠点をもっていると思う。
引用:三島由紀夫『源泉の感情』(河出文庫、2006年)250頁
この記事の引用文は三島由紀夫の対談集『源泉の感情』(河出文庫)からのものである。
『源泉の感情』では、小林秀雄、舟橋聖一、安部公房、野坂昭如、福田恆存、芥川比呂志、石原慎太郎、武田泰淳といったそうそうたる文士と三島の対談は当然面白いのだが、管理人が個人的に面白かったのが伝統芸能の名人たちとの対談である。
肉体を用いた表現者と言葉を用いた表現者である三島との対談は通じ合うようでまったく噛み合わず、その不成立具合が一周して逆に面白い。
これには三島も後書きで率直に「参った」と述べ、さらに
言葉で表現する必要のない或るきわめて重大な事柄に関わり合い、そのために研鑽しているという名人の自負こそ、名人をして名人たらしめるものだが、そういう人に論理的なわかりやすさなどを期待してはいけないのである。
今も思い出す最大の難物は故山城少掾で、この対談に冷汗を流して格闘した結果、すんだあとで、私は軽い脳貧血を起こしてしまった。
引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)421頁
と言って白旗を上げている。(山城少掾は名人と謳われた義太夫節大夫。参考:Wikipedia)