暴力団組長だった加茂田重政(一和会)は右翼の田中清玄をどう見たのだろうか。
加茂田重政は田中清玄について著書『烈侠』で言及している。
この記事の主要な登場人物
加茂田重政
田中清玄
「田中清玄には仲良うしてもらった。写真もいっぱい残っとる」
加茂田重政は『烈侠』で田中清玄についてこのように語っている。
政治家にならんか、という話はたしかにあった。現役時代にな。
そのきっかけは、(戦後、フィクサーとして有名だった)田中清玄や。政界に打って出ようと思ったのは、田中清玄との出会いが大きいんや。参議院選挙に出ようとしたんや。選挙ポスター用の写真も撮って、東京都の選挙管理委員会にも政治団体結成の届けを出した。
(昭和五十六〈一九八一〉年の一月には)わしの後援会の関西本部も立ち上げた。それにしても、田中清玄には仲良うしてもらった。写真もいっぱい残っとる。
田中清玄は田岡の親分と付き合いがあって、麻薬浄化運動なんかも一緒にやっとった。田中清玄は、田岡の親分の紹介や。気に入ってもろてね。
引用:加茂田重政『烈侠』(2016年・サイゾー)140,142頁
上の引用文で加茂田は田中と一緒に写った写真について語っているが、たしかに『烈侠』では加茂田重政と田中清玄が並んでソファーらしきものに腰かけている写真を、一枚だけだが掲載している。
ちなみにここで話題になっている選挙については、加茂田は本気で当選できると思っていたわけではなく、単に名前を売ることができる、とだけ考えて立候補を思案したと上の引用部に続いて述べている。
加茂田重政『烈侠』の見どころ・読みどころ
この記事の引用文は加茂田重政『烈侠』からのものである。
「歴史は勝者が作る」という言葉があるように、どうしても結果がはっきりしてから振り返った時には勝者の言い分が強くなりがちである。
だから加茂田重政の『烈侠』の見どころは、まず「一和会」という敗者の視点から書かれた貴重な記録であるということだろうか。
加茂田の眼から見て竹中正久や山本広がどう見えていたのか、また抗争まで発展していった経緯などを興味深く読むことができる。
また、山一抗争で負けたために武闘派イメージにケチがついてしまった加茂田重政だが、実際にはイケイケのヤクザで、その加茂田の個人史として読んでも面白い。
くわえて、当時もっとも名前が売れていたヤクザの1人だった加茂田重政は芸能人とも付き合いが広かったらしく、例えば菅原文太、松平健、梅宮辰夫、錦野旦、細川たかし、若山富三郎らが、加茂田をはじめとする極道や親族・関係者らと当たり前のように談笑して写る写真など、現在ならば大きなスキャンダルになったであろうような写真が大胆に掲載されている。
さらに写真こそ掲載されていないが、加茂田が言うには加茂田の息子の結婚式の司会は、何とあの明石家さんまがしたという話だ。
またもちろん、写真の中の一枚は(芸能人ではないが)、記事で紹介したように田中清玄と加茂田重政が一緒に写っているものである。
ご紹介した加茂田重政の『烈侠』は、Amazonの電子書籍読み放題サービス『Kindle Unlimited』でも読むことができる。(2022年11月11日閲覧時における情報)