竹中正久は1984年に、三代目組長だった田岡一雄の死後空位となっていた四代目組長に就任するも、翌年の1985年にそのことへの不満から分裂した組織・一和会のヒットマンによって射殺されている。
その竹中について、山口組の二次団体である後藤組組長だった後藤忠政は自著の中で語っている。
この記事の主要な登場人物
「この人のためならどんなことでも動く」
後藤忠政は、自著の『憚りながら』(はばかりながら)の中で、山口組の四代目組長だった竹中正久についてこのように述べている。
竹中さんは凄い親分だった。あれくらいの大親分になると、もう(四代目の)座布団に座っているだけで、組織が自然に回っていくという感じだったな。三代目時代は、俺もまだ若かったから、(田岡一雄組長を)遠くから見ていただけだったが、四代目の親分には本当にかわいがってもらったよ。(中略)
「ウチの武(正久の実弟、竹中武・二代目竹中組組長)は凄いぞ。万が一、俺に何かあったら、ダイナマイト100本抱えていつでも飛んでくる」って。
今から考えれば、その時にはすでに、一和との抗争が始まっていて、親分もある程度は(自分が襲撃されることを)意識していたんだろうな。親分がそんなことを言うもんだから、俺も「親分に何かあったら、それくらいのことをする腹はできてますよ」と言ったんだ。(中略)
弟の武ともウマが合ったよ。ちょうど同い年くらいだったし。確かに親分も武も、俺とはまったく違うタイプだった。ただ、こと「極道」というものに対する考え方は、ぴったり合ったんだ。極道とはどういうものか、ヤクザとはどういうものか、という考え方だ。
特に四代目の親分には、言葉の端々に大きく感じるものがあったんだ。「よし、この人のためなら、どんなことでも動いてやろう」という思いはあったよ。
引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年)116・117ページ
後藤忠政『憚りながら』の見どころ・読みどころ
この記事の引用文は後藤忠政の著書『憚りながら(はばかりながら)』からのものである。
この著書『憚りながら』では、後藤忠政が、父や兄にいじめられていた幼少期の記憶から説き起こし、静岡での愚連隊時代、山口組組長時代など、各時期についてそれぞれ起こった出来事や印象に残ったことなどを語っている。
その面白さは暴力団組長としての後藤忠政の経歴に興味のある人にとっては無論のことだが、そこに出てくる人物の多士済々な顔触れは、仮に裏社会に興味のない人でも興味深く読めるのではないかと思わせるものである。
裏表問わず縦横に繰り広げられる後藤の人物評は、賛否はともかくとして、なるほど例え裏社会であっても位人臣を極めた人はそれなりの一家言を持つに至るものなのだな、と思わせてくれる。
また言うまでもなく、子供から不良少年に、不良少年からチンピラに、チンピラからヤクザに、そしてヤクザ渡世を引退、という後藤忠政のヤクザ渡世を俯瞰できるこの著書は、アウトローに興味のある人なら一度は読んでみても損はないだろう。
本記事に登場する竹中正久関連の書籍では、漫画『荒ぶる獅子』全10巻を、Amazonの電子書籍読み放題サービス『Kindle Unlimited』で読むことができる。(2022年11月11日閲覧時の情報)