右翼の田中清玄は元軍人の瀬島龍三をどう見たのか。
田中は『田中清玄自伝』の中で瀬島龍三に言及し、加えてゾルゲ事件で有名な尾崎秀実(おざきほつみ)についても言葉少なに触れている。
この記事の主要な登場人物
尾崎秀実
「中曽根は付き合う人間を考えろ」
田中は『田中清玄自伝』の中で、総理大臣を務めた中曽根康弘に鄧小平の後継者である胡耀邦と親交を結びべきと助言していたが、残念ながら胡耀邦は亡くなってしまったと述べた後、このように続ける。
もう一つ彼に言っているのは、付き合う人間を考えろということです。彼の周りにはいろんな人間がいましたからねえ。
例えば瀬島龍三がそうだ。第二臨調の時に彼は瀬島を使い、瀬島は土光さんにも近づいて大きな顔をしていた。伊藤忠の越後(正一元会長)などは瀬島を神様のように持ち上げたりしていたが、とんでもないことだ。
かつて先帝陛下は瀬島龍三について、こうおっしゃったことがあったそうです。これは入江さんから僕が直接聞いた話です。
「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵達を咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」
陛下は瀬島の名前をお挙げになって、そう言い切っておられたそうだ。中曾根君には、なんでそんな瀬島のような男を重用するんだって、注意したことがある。私のみるところ瀬島とゾルゲ事件の尾崎秀実は感じが同じだね。
引用:『田中清玄自伝』(ちくま文庫、2008年)309頁
ゾルゲ事件で刑死した尾崎秀実(おざきほつみ)については言葉少なに「瀬島と感じが同じ」と言っているが、清玄が瀬島を信用していない以上、尾崎のことも否定的な意味で「感じが同じ」と言っているのだろう。
田中清玄は具体的にその「感じ」が何かは明らかにしていないが、戦争責任から逃げた瀬島とソ連のスパイだった尾崎が「同じ」というのだから、おそらくその人間性の中に何かしら不誠実なものを感じるということではないかと思う。
『田中清玄自伝』の見どころ・読みどころ
この記事の引用文は『田中清玄自伝』からのものである。
『田中清玄自伝』の面白さは、まずはそこに出てくる人物の異常なまでの幅広さである。
ざっと有名な名前を上げるだけでも、マルクス主義・共産党関係者なら徳田球一、野坂参三、文学者なら太宰治、亀井勝一郎、三島由紀夫、林房雄、禅僧の山本玄峰、右翼の野村秋介、三上卓、四元義隆、王族や皇族関係者なら昭和天皇、オットー大公、スペインのカルロス国王、学者ならハイエク、今西錦司、アウトローでは田岡一雄、ジャック=ボーメル(フランスのギャング)、政治家ならスカルノ大統領、鄧小平、鈴木貫太郎、田中角栄、中曽根康弘、小沢一郎などなど。
これでも一部のほんのわずかな名前を挙げただけで、ともかく到底ここで挙げ切ることのできないくらい多士済々である。
その数もさることながらあまりに広い分野にまたがった人物の名が出てくるため、おそらく『田中清玄自伝』に登場する名前をすべて知っているなどと言える人はほぼいないか、いたとすれば相当な教養人だろう。
くわえて、祖先が会津藩の家老で会津者であることを誇りにしている田中は、竹を割ったような性格をしており、自ずと口吻も力強く断定的になって、有名人や多くの人にとって評価の高い人物を自分の見地から一刀両断してしまうところなど、その語り口の意外性・面白さは読む者に尽きない知的興奮を与えてくれる。
最後に言うまでもないが、その思想の是非はともかく、自分の信念と理想のために世界中を駆けて回った田中の世界観の雄大さ・スケールの大きさは、それに触れる者に強い感動を覚えさせてくれるものである。