田中清玄の見た土光敏夫「真夏なのに扇風機もクーラーもなく団扇だけ」

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右翼の田中清玄は、東芝社長で経団連の会長も務めた大物財界人、土光敏夫をどのように見ていたのか。

『田中清玄自伝』で田中清玄は、土光敏夫の暮らしぶりの極端な質素さに思わず驚かされたというエピソードを披露している。

「真夏なのに扇風機もクーラーもなく団扇だけ」

清玄は土光敏夫について、三井の池田成彬、松永安左ヱ門、木川田一隆、大原総一郎といった経済人の名前と並べて、「いずれも第一級のエコノミストでした」と述べている。

そして土光との次のようなエピソードを披露している。

土光さんについては、こんな思い出がありますよ。ある時、京都からきた連中がどうしても土光さんに会いたいというので、連れていった。

横浜・鶴見区のご自宅へ伺ったのですが、畑の真ん中にぽつんと一軒だけ建っている日本風の家で、どう見ても住んでいる人は課長クラスといった感じの家だった。

真夏なのに扇風機がなくて、団扇です。もちろんクーラーなんかない。

そうしたら一緒に行ったうちの一人が、「土光さん、東芝では扇風機を作っているのに、お使いにならないのですか」と聞いた。

土光さん、こともなげにこう言ったなあ。
「あれは売るもんで、使うもんじゃありませんよ」(笑)。
東芝の社長時代の話ですよ。

私は石油関係の仕事などで、土光さんにはずいぶんお会いすることが多かったが、いわゆる料亭なるところで会ったのは、たった一回だけでした。

「社会は豊かに、暮らしは質素に」というのが土光さんのモットーでしたが、今それだけのことを実践している財界人がだれかおりますか。
口で言うのは簡単ですが、実行してみせなきゃ。

引用:『田中清玄自伝』(ちくま文庫、2008年)288頁

 

田中清玄

田中清玄(1906年3月5日 – 1993年12月10日)は戦後の大物右翼、天皇主義者。戦前には「武装共産党」時代の共産党幹部として数多くの事件に関与し、治安維持法違反で11年を獄中で過ごす。清玄の母は息子を諫めるために自裁、清玄は煩悶の末に転向する。出所後は禅の修行を経て土建業を起こし、終戦時には昭和天皇に退位しないことや巡幸などを献策。政治面では特に資源外交に尽力した。ハプスブルク家のオットー大公、経済学者のハイエク、山口組組長の田岡一雄などの幅広い人脈で知られる。次男は2018年11月から早稲田大学総長となった田中愛治。祖先に会津藩家老の田中土佐がいる。

土光敏夫

土光 敏夫(どこう としお、1896年(明治29年)9月15日 – 1988年(昭和63年)8月4日)は、昭和時代の日本のエンジニア、実業家。位階勲等は従二位勲一等(勲一等旭日桐花大綬章・勲一等旭日大綬章・勲一等瑞宝章)。岡山県名誉県民[1]、岡山市名誉市民[2]。

石川島重工業・石川島播磨重工業 社長、東芝 社長・会長を歴任、経済団体連合会第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として「土光臨調」と称されている第二次臨時行政調査会でも辣腕を振るった。他方、橘学苑の理事長、校長を創設者の母から引き継ぎ、「メザシの土光さん」としても親しまれた。 次男の土光哲夫は東芝タンガロイの元役員。曾孫はアイドルの土光瑠璃子。

引用:Wikipedia

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