戦後の大物右翼・田中清玄(たなか せいげん)は、新右翼の旗手・野村秋介(のむら しゅうすけ)をどう見ていたのだろうか。
田中清玄の野村秋介観は、『田中清玄自伝』から窺うことができる。
この記事の主要な登場人物
「貴様は約束を反故にした。顔も見たくねえ」
田中清玄はハプスブルク家のオットー大公、経済学者のハイエク、山口組組長の田岡一雄などとも親交があったほどの幅広い人脈で知られ、『田中清玄自伝』には多くの人物が登場する。
その一人が新右翼の論客だった野村秋介である。
『自伝』ではインタビュアーの大須賀瑞夫の「戦後の右翼はどうですか」という質問に答えて、このように述べている。
ほとんど付き合いがありません。土光さんが経団連会長の時に、野村秋介が武器を持って経団連に押し入り、襲撃したことがありましたね。政治家と財界人の汚職が問題になった時のことでした。
どこかの新聞社の電話と野村とが繋がっていると聞いたので、俺はすっ飛んで行って、その電話を横取りするようにひったくって、こう言ってやった。
「おい、野村、貴様、即刻自首しろ。貴様が土光さんに会いたいというなら、それは俺が取り計らってやるとあれほど言ったじゃねえか。それを、約束を破って経団連を襲うとは何ごとだ」
そうしたら、野村はつべこべ言った揚げ句に、謝りにくると言うから「貴様は約束を反故にした。顔も見たくねえ」と言って、それっきり寄せつけない。約束を守らないようなやつは駄目だ。
その前に藤木幸太郎さんに一度会わしたことがあったが、藤木さんは「あいつは小僧っ子だな」って、そう言ったきりだったな。
引用:『田中清玄自伝』(ちくま文庫、2008年)182頁
田中清玄は、当時、経団連会長だった土光敏夫(1974年・昭和49年から経団連会長)に会いたいと言っていた野村に会わせる約束をしていたらしい。
しかし野村らは先走って行動を起こしたため、約束を反故にされたと感じた田中は激怒、「顔も見たくねえ」と言い、それっきりだという。
田中の野村への評価は芳しいものではないと言っていい。
実際に経団連襲撃事件では、襲撃に参加した野村らは檄文を持ち、土光敏夫会長との面会を求めたが、当時土光は不在だったで空振りに終わった。
田中の言が本当なら、少なくとも野村が土光敏夫と面会するという目的だけならば、あえて経団連会館を襲撃する必要などなかったということになる。
最後に田中は藤木幸太郎(港湾荷役事業の会社・藤木企業の創業者)の「あいつは小僧っ子」という野村評を引き、それに対して暗に賛意を示しているようにも思える。
『田中清玄自伝』の見どころ・読みどころ
この記事の引用文は『田中清玄自伝』からのものである。
『田中清玄自伝』の面白さは、まずはそこに出てくる人物の異常なまでの幅広さである。
ざっと有名な名前を上げるだけでも、マルクス主義・共産党関係者なら徳田球一、野坂参三、文学者なら太宰治、亀井勝一郎、三島由紀夫、林房雄、禅僧の山本玄峰、右翼の野村秋介、三上卓、四元義隆、王族や皇族関係者なら昭和天皇、オットー大公、スペインのカルロス国王、学者ならハイエク、今西錦司、アウトローでは田岡一雄、ジャック=ボーメル(フランスのギャング)、政治家ならスカルノ大統領、鄧小平、鈴木貫太郎、田中角栄、中曽根康弘、小沢一郎などなど。
これでも一部のほんのわずかな名前を挙げただけで、ともかく到底ここで挙げ切ることのできないくらい多士済々である。
その数もさることながらあまりに広い分野にまたがった人物の名が出てくるため、おそらく『田中清玄自伝』に登場する名前をすべて知っているなどと言える人はほぼいないか、いたとすれば相当な教養人だろう。
くわえて、祖先が会津藩の家老で会津者であることを誇りにしている田中は、竹を割ったような性格をしており、自ずと口吻も力強く断定的になって、有名人や多くの人にとって評価の高い人物を自分の見地から一刀両断してしまうところなど、その語り口の意外性・面白さは読む者に尽きない知的興奮を与えてくれる。
最後に言うまでもないが、その思想の是非はともかく、自分の信念と理想のために世界中を駆けて回った田中の世界観の雄大さ・スケールの大きさは、それに触れる者に強い感動を覚えさせてくれるものである。