批評家の小林秀雄は、ドイツの政治家アドルフ・ヒトラーをどのように見たのだろうか。
小林秀雄はヒトラーについて、エッセイ集『考えるヒント』中の「ヒットラーと悪魔」で語っている。
小林秀雄から見たヒトラー
「ヒットラーと悪魔」という題名から分かる通り、このエッセイはヒトラーの人物像をめぐって書かれたものである。
全編引用するわけにもいかないので、この中から特に興味深い箇所だけを幾つか抜粋してみる。
「ナチズムとは燃え上がる欲望だ」
ヒットラーの「マイン・カンプ」(我が闘争:引用者注)が紹介されたのはもう二十年も前だ。
私は強い印象を受けて、早速短評を書いた事がある。今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。
「この驚くべき独断の書から、よく感じられるものは一種の邪悪な天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。むしろ燃え上る欲望だ。その中核はヒットラーという人物の憎悪にある」
ヒトラーの人生観
彼の人生観を要約する事は要らない。要約不可能なほど簡単なのが、その特色だからだ。
人性の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。
これは議論ではない。事実である。それだけだ。
絶望の力、憎悪の完成
下記文中の「収容所」とは、ヒトラーが若い頃に入っていたとされる「ルンペン収容所」のことである。
彼の所謂収容所という道場で鍛え上げられたものは、言わば絶望の力であった。無方針な濫読癖で、空想の種には困らなかった。
彼が最も嫌ったものは、勤労と定職とである。当時の一証人の語るところによれば、彼は、やがて又戦争が起るのに、職なぞ馬鹿げていると言っていた。
出征して、毒ガスで眼をやられた時、恐らく彼の憎悪は完成した。