元ヤクザの後藤忠政は、三代目山口組若頭で山健組組長だった山本健一についてどう見ていたのか。後藤忠政は山本健一について、自著『憚りながら』の中で言及している。
この記事の主要な登場人物:後藤忠政と山本健一
「懐の深い大物だなって改めて尊敬させられた」
後藤忠政は兄貴分だった伊堂敏雄について言及した流れで山本健一についてこのように述べる。
一度、ウチの兄ちゃんたちが、稲川会の賭場を荒らしてさ、山健(山本健一・三代目山口組若頭)さんから大目玉を食らったことがあったんだ。山健さんは稲川会の石井(隆匡・当時は稲川会理事長)さんと兄弟分だったから。その兄弟分(稲川会)の枝の組の賭場を後藤組が荒らして、おまけにその組と抗争になったもんだから、山健さんが怒るのも当たり前だわな(笑)。
(中略=山本健一の簡単な経歴)
それで伊堂さんが、山健さんから呼ばれて「後藤を破門しろ」と言われたんだけど、伊堂さんが庇ってくれたもんだから、今度は俺が直接、(山本若頭から)呼び出されてさ。「後藤、お前、これ以上やったら破門するぞ」って言われちゃったんだ。
けど、その頃の俺は怖いもん知らずだったから、「分かりました。もう一度、一本(どっこ)に戻ります」なんて言ったんだよ。そしたら、山健さんも「なんだ、お前、俺に楯突くのか」って本気で怒ってさ。
なんとか伊堂さんが取り成してくれたんで、破門にならずに済んだけど、後で伊堂さんから、「山健さんが『後藤って、面白い男だな』と言ってたよ」って聞いて、さすがは山口組の若頭だな、懐の深い大物だなって、改めて尊敬させられたんだ。
引用:後藤忠政『憚りながら』(宝島社、2010年) 74~75ページ
文中の「伊堂」は下記参照。
後藤忠政『憚りながら』の見どころ・読みどころ
この記事の引用文は後藤忠政の著書『憚りながら(はばかりながら)』からのものである。
この著書『憚りながら』では、後藤忠政が、父や兄にいじめられていた幼少期の記憶から説き起こし、静岡での愚連隊時代、山口組組長時代など、各時期についてそれぞれ起こった出来事や印象に残ったことなどを語っている。
その面白さは暴力団組長としての後藤忠政の経歴に興味のある人にとっては無論のことだが、そこに出てくる人物の多士済々な顔触れは、仮に裏社会に興味のない人でも興味深く読めるのではないかと思わせるものである。
裏表問わず縦横に繰り広げられる後藤の人物評は、賛否はともかくとして、なるほど例え裏社会であっても位人臣を極めた人はそれなりの一家言を持つに至るものなのだな、と思わせてくれる。
また言うまでもなく、子供から不良少年に、不良少年からチンピラに、チンピラからヤクザに、そしてヤクザ渡世を引退、という後藤忠政のヤクザ渡世を俯瞰できるこの著書は、アウトローに興味のある人なら一度は読んでみても損はないだろう。