批評家の小林秀雄は、三島由紀夫の対談集『源泉の感情』(河出文庫)に収録されている対談「美のかたち」で三島由紀夫と対談し、三島について興味深いことを語っている。
この記事の主要な登場人物:小林秀雄と三島由紀夫
「君の才能は怖るべきものだ」
小林秀雄は当時話題になっていた三島の『金閣寺』について、「『金閣寺』の表現は主人公のコンフェッション(告白)という主観的な表現の中に立てこもっており、対人関係が存在しないから、厳密に言えば小説ではなく叙事詩だ」と話す。
その流れでこんなやり取りになる。
三島 ドラマが成立しない。
小林 しない。だから叙事詩になるわけだよ。無論、作者(引用者注:三島のこと)はそういう意図で書いたんだと思うんだよ。
だから抒情的には非常に美しいものが、たくさんあるんだよ。ありすぎるくらいあるね。僕はあれを読んでね、率直に言うけどね、きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね。
三島 ‥‥‥(笑)。
小林 つまり、あの人は才能だけだっていうことを言うだろう。何かほかのものがないっていう、そういう才能ね、そういう才能が、きみの様に並はずれてあると、ありすぎると何かヘンな力が現れてくるんだよ。魔的なもんかな。
きみの才能は非常に過剰でね、一種魔的なものになっているんだよ。僕にはそれが魅力だった。あの滾々として出てくるイメージの発明さ。他に、きみはいらないでしょ、なんにも。
三島 ええ、なんにも。
引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)13、14頁
ここでの表現を率直に受け取るなら、小林は三島を「唯美主義者」のようにとらえていたことになるが、三島は明らかに「他に何もいらない」わけではなかった。
先輩である小林の言葉に合わせて、三島は「ええ、なんにも(他にいらない)」と答えているが、もしそれが本当なら彼はあんな死に方はしなかっただろう。
「君は才能の魔」「堕ちてもいいんだ、ひるんだらダメですよ」
三島と小林の対談でもっとも面白いのは小林が対談の終盤で三島に送った言葉かもしれない。
小林と三島は三島の演劇について話し、三島が自分の劇の「切符」(チケット)を小林に送ると言って、終盤で次のようなやり取りをして対談を終えている。
小林 見ますよ、三枚くらい下さい(笑)。ほんとにきみは才能の魔だね。堕ちてもいいんだ。ひるんだらダメですよ。
三島 いつ堕ちるか解らない、馬に乗ってるようなもんだな。
小林 才能のために身を誤ったら、本望じゃないか。ほんとに退屈しなかった、読んでて。才能の魔ですよ。由良川で金閣は焼かなけりゃならんと決心するまで、あそこはサワリだ。だけども、殺すのを忘れたなんていうことは、これはいけませんよ。作者としていけないよ。だけど、まあ、実際忘れそうな小説だよ(笑)。
三島 (笑いながら)結論が出ちゃった。
引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)38、39頁
「主人公を殺し忘れた云々」という言葉は、対談中に小林が「『金閣寺』の主人公をなぜ殺さなかったのか」と言って、その話題を指しているのである。
そしてこの箇所での小林の言葉、「才能のために身を誤ったら本望じゃないか」あたりを読むと、さっきの小林による「三島由紀夫=唯美主義者」解釈が一転、実は小林秀雄は三島について何かしら、自死に道を通じていくような要素を察知していたのではないかと思える。
小林はこの対談で「分からない」という言葉を頻繁に使い(少なくとも5回ほどは使っている)、そのような表現をすることで終始、三島を指導する先輩としての役割を自ら拒んでいるようにも見える。
そんな対談の最後で小林が三島に放った「堕ちてもいいんだ、ひるんだらダメですよ」という言葉は、小林が三島に送った「もっとも先輩らしい言葉」だったのかもしれない。
この対談は三島の死の13年ほど前になされたものだが、三島はある意味で見事に「ひるむことなく」、勇敢に「落馬」した。
その三島の「落馬」(自死)だが、それについて三島の死後、小林は自身の愛弟子ともいえる江藤淳と言い争っている。
三島由紀夫の対談集『源泉の感情』の見どころ・読みどころ
この対談は河出文庫の三島由紀夫対談集である『源泉の感情』に収録されている。
『源泉の感情』では、小林秀雄、舟橋聖一、安部公房、野坂昭如、福田恆存、芥川比呂志、石原慎太郎、武田泰淳といったそうそうたる文士と三島の対談は当然面白いのだが、管理人が個人的に面白かったのが伝統芸能の名人たちとの対談である。
肉体を用いた表現者と言葉を用いた表現者である三島との対談は通じ合うようでまったく噛み合わず、その不成立具合が一周して逆に面白い。
これには三島も後書きで素直に「参った」と述べ、さらに
言葉で表現する必要のない或るきわめて重大な事柄に関わり合い、そのために研鑽しているという名人の自負こそ、名人をして名人たらしめるものだが、そういう人に論理的なわかりやすさなどを期待してはいけないのである。
今も思い出す最大の難物は故山城少掾で、この対談に冷汗を流して格闘した結果、すんだあとで、私は軽い脳貧血を起こしてしまった。
引用:三島由紀夫『対談集 源泉の感情』(河出文庫、2006年)421頁
と言って白旗を上げている。(山城少掾は名人と謳われた義太夫節大夫。参考:Wikipedia)